第72話 研究者の真の姿

 今にも刃を交えんとしていた魔族たちが、次々と薄紫色の粒子に変わっていくのを見て、

「もしかしなくても今のが……魔素に変換するとかってやつか……?」

 ウルは信じられないといった風に、表情を驚愕の色に染めてそう口にする。


「その通りである! 我輩の誇る三種の超級魔術の一つ、闇素変換ダクブースト! 術の対象と定めた者を問答無用で魔素へと変える広域型ハイレンジの魔術であるが……」


 そんな彼女の呟きに答える様に、嬉々として行使した魔術について解説していたローガンの視線の先で、

「……ぅ、くぅっ……!」

 唯一無事だったフライアが弱々しい声を上げ、離れた場所で地面に膝をついていた。


 

「っ! あいつまだ……!」

「……『闇紛隠匿ダクシェルト』であるか、大方鏡写しミラーリングもそれで掻い潜ったのであろう? あの一瞬で随分器用な事である。 部下たちは誰一人間に合わなかったというのに」

「だく……何だって?」


 ウルはその視界に彼女の姿を捉えた瞬間、衝動的に叫んで勇爪いさづめを展開したのだが、ローガンが唐突に語り出した為に、ぅおっ、とたたらを踏んでしまう。


(闇紛隠匿ダクシェルト……魔素迷彩マナフラージュと同じ様なものかしら)


 そんなハピの憶測通り、闇紛隠匿ダクシェルトは夜間、又はここの様な洞穴などといった暗がりでのみ行使出来る、自分の身体を一定時間闇に溶かす中級魔術であり、魔族にとっての魔素迷彩マナフラージュといっても過言では無い。


 フライアは手も膝をついたまま、その端正な顔だけをゆっくりとローガンに向け、

「ローガン、殿……! 気は、確かか……!? 我らは同じ魔族で……消すべきは……!」

 そう言い終わると同時に、睨みつけたその視線を目の前の亜人族デミたちに走らせる。


「フライア、お主は我輩の様な研究者に最も重要な事を知らぬと見える。 それは膨大な知識でも溢れる意欲でも無い……他の誰より、狂っている事である」

「……!?」


 その一方、ローガンは、ふぅと溜息をつき、心底呆れたといった表情を浮かべながら言い聞かせる様にそう語り、フライアは彼の口から出た言葉に絶句した。


「数多の生物の命を奪い、それを材料として研究を進め、失敗すればまた次の犠牲を……かの者に封印される前も、魔王様が封印を解かれてからも、我輩はそんな作業ルーティンを幾千万と繰り返してきた。もう分かるであろう? 研究者とは、まともであってはならぬのである」


 そんな彼女の様子などお構い無しに遠い目をしながら過去を振り返り、重々しくそう告げる彼の言葉に、

「……っ、だからといって……!」

 納得がいかない、いや納得する訳にはいかないフライアは、苦々しい表情を浮かべている。


 ――次の瞬間。


「……だが! だからこそ! 研究者として生を受けたその瞬間から我輩は決意したのである! この世界の如何なる存在よりも……狂人ルナティックであろうとな!」


 嘲る様にニヤリと笑い、一転して晴れやかな表情を見せ、両腕を広げて高らかにそう宣言する彼を、

「世迷言、を……っ! 貴方は……自らの魔力、果てはその生命力を削ってまで我らを解放して下さった魔王様を裏切るおつもりか!?」

 まるで親の仇かと言わんばかりに睨みつけ、フライアはその勢いのままに問い詰める。


 するとローガンは、む? と反応し、広げていた腕を下げて彼女の方へ顔を向けると――。


「あぁその事であるか……フライアよ、デクストラにこう伝えるのである。 ローガンは召喚勇者の監視役として、一党パーティに加わるとな」


「「「は!?」」」

「「……!?」」

「ぇ……?」


 ――この場にいる全員にとって衝撃的な発言を、さも決定事項であるかの様にサラリと口走った。


 そんな彼の言葉に、フライアだけで無くウルやフィンも思わず声を上げ驚き、ハピとアドライトは完全に言葉を失い、かたや望子はそんなはなしだっけ、と首をかしげるといった様々な反応を見せている。


「この機を逃せば、次に召喚勇者を間近で観察する機会など一体いつ訪れるかも分からぬ。 ゆえに先程、ミコ嬢と契約を交わしたのである。 この状況をどうにかする代わりに、提案を受けて貰うと」


 ローガンがそう口にした時、望子は、あぁあれってそういう……とこくこく頷いたが、

「お……おい待ててめぇ! あたしはそんなん聞いてねぇぞ! 勝手に決めんな!」

「そーだそーだ! 大体ボクたちの一党パーティにおっさんなんて入れないし、いらないんだからね!」

 勇者の一党パーティに魔族を加えられる訳ねぇだろ、と彼を指差して叫び放ち、フィンもそんな彼女に賛同する様に少々的外れかつ利己的な意見を述べていた。


「フィン、そういう事じゃなくて……」

「怖いもの知らずだね……」


 このメンバーでは比較的まともなハピとアドライトは揃って、おいおいといった風に呆れてそう口にする

一方、何を言っているのやら、といった様に当のローガンは首をカクンとかしげていたのだが、

「……あぁ、どうやらこの姿が気に入らん様であるな。 それならば丁度良いのである」

 彼女の言い分を理解し、成る程と頷くやいなや彼はおもむろに自分が掛けていた丸眼鏡を外し、

「……丁度良い? 何が……」

 フィンが彼の発言にも行動にも疑問を抱いて、そう尋ねようとしたその時――。


「ぇ、ぅわぁ!」

「!? ミコ!」


 突如彼の身体から発生した薄紫色の煙に驚いた望子が、思わず顔を覆ってそう叫び、それを垣間見たウルが望子を案じて声を荒げたのも束の間。


「久方ぶりであるなぁ、この姿は。 さて、どうであろう! お眼鏡にかなうかな、身侭みまま人魚マーメイドよ!」

「ぇ、えぇ……?」


 その手に持った丸眼鏡を除き、角も尻尾も……そしてその身体さえも先程までの壮年の魔族とは似ても似つかぬ姿となっており、腰に届きそうな程に長い銀色の髪を揺らし、山羊の様な二本の角と先の尖った黒い尻尾を生やした褐色の少女が、腕組みをしつつ実に可愛らしい声でそう告げた。


 ――唯一その翼だけは、年齢相応の重厚感を思わせる雄大な漆黒を保っていたが。


「……はぁ!? 何だそりゃ!?」

「おっさんが幼女になったぁ!?」


 そんな少女の姿を視認した瞬間、ウルとフィンが真っ先に驚きを露わにして叫ぶと、その少女はフィンの言葉を否定する様に、逆である、と首を横に振って、

「お主の言葉を借りるなら、幼女がおっさんになっていたのであって、元々こちらが真の姿なのである」

 腕組みを解いて眼鏡をかけ直し、ペタンとした薄い胸を拳でトンと叩いてそう語る。


 今やその目線の高ささえ、望子と大差無い身体となってしまっていたローガンに対し、

「ど、どうしてそんなこと……」

 自分と同じくらいの見た目だからか少しだけ警戒心を弱めつつも、望子はおそるおそるそう尋ねた。


「何、簡単な事である。 威厳が無いのだよ、この幼い姿ではな。 ゆえに、部下たちの前では常に先程までの研究者然とした姿をとっていたのである。 無論、魔術や知力は据え置きなので安心してもらいたい。 これなら一党パーティに加えてもらえるかな?」


 すると彼……いや彼女は、かつての忠実な……それでいて随分と自分勝手だった部下たちを懐かしむ様に目を細めながら語り出し、望子にゆっくりと擦り寄ってから自らを売り込む様にそう告げる。


 壮年の姿だったからこそ強く出られていた事もあってか、ウルはガシガシと頭を掻いて、

「……さっきはあぁ言ったが、そもそもあたしらに決定権はねぇ。 うちの頭目リーダーはミコだからよ」

 完全に少女の姿となったローガンに懐疑的な視線を向け、控えめにそう告げつつ望子に全てを委ねる。


 望子はしばらくの間、んー、と唸って思案していたが、意を決したのかパッと顔を上げて、

「……うん、いいよ。 ちゃんとやくそく、まもってくれたんだもんね」

 多少困った様な笑顔ではあったものの、ローガンに対して同行の許可を出した事で、

「うむうむ! 宜しく頼むぞ、勇者一行!」

「ぁ、あはは……よろしくね……」

 彼女は満面の笑みを浮かべて、望子の手を取りブンブンと上下に振っていた。


「……それが、貴女の答えなのですね? この事は必ず魔王様にも伝わる……貴女、消されますよ」


 そんな折、沈黙を貫いていたフライアが、真の姿の事は知っていたのかその事については特に言及せず、ゆっくりと立ち上がりながらそう告げたのだが、

「くはは! 魔王様直々に手をかけていただけるのならば、魔族冥利に尽きるというものであるなぁ!」

 一方のローガンは、それもまた一興、と笑い飛ばして彼女に目を向け高らかにそう口にする。


「……つける薬も、ありませんね……私は、これで」


 フライアはその言葉を受け深く溜息をつき、緩慢とした動きで踵を返して奇々洞穴ストレンジケイヴを後にせんとしたが、

「ぁ、ま、まって!」

「……? ミコ、様……?」

 その時突然望子が彼女を呼び止め、その声に反応して振り返ったフライアの元へ走っていくではないか。


「ちょっ、みこ!?」


 そんな望子の行動に驚いたフィンが真っ先に声を上げたものの、既に望子はフライアの傍まで辿り着き、

「これ、ぽーしょん? なの。 あげるね」

「は……? それは、どういう……?」

 そう言って鞄から取り出した瓶詰めの蜂蜜水玉ハニースフィアの一つを手に取ると、これが回復薬ポーションだという事実へか、それとも望子の行動自体へかは分からないが、フライアは口をポカンと開けて聞き返す。


「……ミコ様、私は貴女を……」


 ……連れ去ろうとしたんですよ、と呟こうとした彼女に、望子はふるふると首を横に振って、

「だって、つらそうだよ。 むりしないで」

 フライアの細い手を取り、蜂蜜水玉ハニースフィアを潰れない程度に軽く握らせ、安心させる様に笑みを向けた。


 何かの罠なのでは、と思ってしまうフライアだったが、この少女に限ってそれは無いだろうと思い直し、

「……ありがとう、ございます。 後で、いただきますね、ミコ様……」

「うん、きをつけてかえってね」

 力無い笑顔でそう言って、色素の薄くなった翼を広げ、フラフラと宙を滑る様に去っていくフライアに対し、望子は手を振り別れを告げた。


 ……道中、望子から貰ったそれを口に含んでしばらく舌で転がした後、プチッと歯で潰した事で口内に濃厚な蜂蜜の味が広がると同時に――。


(……甘い。 甘過ぎますよ、ミコ様)


 フライアは、脳内でそんな事を呟いた。


 ――甘いのは、蜂蜜か、望子の考えか。


 それは、彼女のみぞ知る事である。

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