第62話 魔道具店の賑やかな朝

 領主の屋敷で一泊し、翌日の夜に屋敷を後にした望子たちは九重の御伽噺ナインテイルを訪れ、生き残った二人から聞いた情報をリエナやウルたちに伝えようとしていた。


 だが、二日目の訓練が思いの外厳しかったのかウルたち三人はとても話を聞ける様な状態では無く、動く事すらままならないといった具合だった為、その夜はリエナやピアンの厚意で店に泊まらせてもらい、話は次の日に持ち越す事となったのだった。


 そして次の日の朝、望子とピアンが二人で作った朝食――切り揃えられ薄紫や橙色の果醤ジャムがぬられたバゲットと、彩り鮮やかなサラダ――を囲みながら、

「……まさか、上級がお出ましとはねぇ。 そりゃあひとたまりも無いはずだよ」

 リエナは華やかな食卓に似つかわしくない暗い表情を浮かべて、軽く舌を打ってからそう言った。


「その魔族はローガンと名乗ったそうなんだけど……リエナさん、何か知らないかな?」


 そんな彼女に向け、何故か一緒に店に泊まっていたアドライトが魔族の名を挙げ尋ねると、

「……うーん、覚えがある様な無い様な……白衣を着た魔族ってだけじゃあちょっと分からないね。 そんな奴は他にも沢山いたはずだし……」

 リエナは申し訳無さそうに主張し、それを受けたアドライトは気にしないでという様に首を横に振る。


 その時、彼女の隣に座っていた望子が、おそるおそるリエナの紺色の着物の裾をつまんで、

「ね、ねぇおししょーさま。 みんなはほんとにだいじょうぶなの……?」

「ん? あぁ……」

 対面に座る亜人ぬいぐるみたちを指差して不安げに尋ねると、リエナは煙を吐いてからそちらに顔を向けた。


 ――望子の指差した先には。


「あ"ー……」

「ふー……」

「う"ぇー……」


 昨日の訓練の反動からか、未だ強い倦怠感に苛まれている亜人ぬいぐるみたちの姿があった。


 ウルはバゲットの一つを咥えたまま椅子にもたれかかってしゃがれた声を出し、ハピは取り分けられたサラダを木製のフォークでグルグルとかき混ぜながら溜息をつき、フィンに至っては机に突っ伏して濁った声で呻く以外の行動を取ろうともしない。


「み、皆さんしっかり……! ほら、ミコさんが心配してますよ……!」

「「「……」」」


 そんな彼女たちを何とか元気づけようとピアンが望子の名を出してみたものの、三人は望子に向け、大丈夫だよとでも言いたげに手を振るだけ。


「……問題無いよ、一応はね。 昨日、この子たちが現状使える魔術を全て確認して、それらに名前を付けさせようとしたんだけど……ハピはともかく、あの二人は……中々苦戦したからねぇ」


 リエナは彼女たちの有様を見ながら、すっかり呆れ果てた表情で煙管キセルを吸う。


「おししょーさま、おおかみさんたちをわるくいわないであげて? みんながんばってるんだとおもうし」


 一方、望子はウルたちが悪く言われてしまった様な気がして、少しだけむっとした表情を浮かべつつ、控えめな声音でリエナにそう声をかけると、

「っ! そ、そうだよねぇ! ごめんねミコ! おししょーさまが悪かったから許してくれるかい?」

 この一週間強で骨抜きとなっていたリエナは、むっとしてても愛らしい望子にぎゅっと望子に抱きつきながら、その黒く綺麗な黒髪を撫でて許しを乞う。


「「「……」」」

(ひえぇ……こっち気にして下さい店主ぅ)


 そんな二人の様子を鬼神かと言わんばかりの形相で睨みつける三人に、ピアンは人知れず怯えていた。


「むぅ、羨ましいな」


 ……アドライトだけは、唇に人差し指を当てて羨望の眼差しを向けつつ、そう呟いていたが。


「……それで、今日はどうするんだい? 私たちの方は問題なく役目を果たせたし、時間があるならミコちゃんに魔素迷彩マナフラージュを教えてあげたいんだけど……」


 そんな折、話題を切り替える為にこほんとわざとらしく咳払いしたアドライトが話を振ると、

「あぁ、確かにね……ピアン、あんたがミコに教えてやりな。 この子は賢いし、何よりが他と違う。 今日明日で何とかなるだろうさ」

 リエナは名残惜しげに望子から離れて、しかし綺麗な黒髪に手を置いたままピアンにそう告げる。


「はい! お任せ下さい! ミコさんは私の恩人であり、今や妹弟子でもありますから!」


 その一方、ピアンは自身が兎人ワーラビットだった頃、凄んできた亜人ぬいぐるみたちから庇ってくれた望子のたっとい姿を思い返し、快活な口調でリエナの頼みを受け入れた。


「恩人……? まぁいいさ。 ミコ、ピアンの言う事をしっかり聞いて頑張るんだよ」


 そんな彼女の心情など知る由も無いリエナはそう言って、ふいっと視線を望子に移す。


「うん! よろしくね、うさぎさん!」

「はいっ! 一緒に頑張りましょう!」


 すると望子とピアンはお互いに顔を見合わせながら、満面の笑みを浮かべて握手していた。


「それじゃあ、私はどうしようか? ミコちゃんの頑張る姿を見守るというのも悪くないけど……」


 一方、望子の教導役を取られてしまった為、する事の無くなったアドライトがリエナにそう尋ねると、

「いや、あんたはあたしと一緒にあの子たちの訓練の最終段階に協力してもらうよ」

「「!」」

 リエナは片手の親指だけを三人に向け、先の過酷な訓練の様子がフラッシュバックしたのだろう、ウルとフィンがビクッと身体を跳ねさせる。


「協力……構わないけど、何をするのかな。 魔素迷彩マナフラージュは必須だし、命名ネームドも……まぁ魔族と戦う以上、地力を上げるには良い手段だと思うよ。 でも後一つがどうにも分からないんだよね」


 リエナからの協力要請を受けつつも、三つもやるべき事が? とアドライトが首をかしげた時、そう語るアドライトの影に隠れる様にウルとフィンが、そーだそーだ、おーぼーだ、と陰鬱な表情のまま囃し立てた。


 そんな二人に呆れ返った様子のリエナは、咥えた煙管キセルを口から放し、はぁ、と煙を吐いてから、

「まぁ、確かに最後の一つは絶対に今やらなきゃならないって訳じゃない……が、後々これをやったかやらなかったかが必ず響いてくる。 だったら、今の内に済ませておいた方が良いに決まってる……違うかい?」

 結局その内容を明らかにしないまま、圧をかける様に亜人ぬいぐるみたち三人とアドライトにそう告げた。


「……貴女がそこまで言うなら、私に否やは無いよ」


 それを受けたアドライトは特に怯えた様子も無く、どうかな? と当のウルたちに話を振ると、

「……わーったよ! やりゃいいんだろ!」

「そもそも私たちに拒否権なんて無さそうだし」

「う"ー……やっぱりそうなるかぁ……」

 彼女たちは三者三様の反応を見せるも、拒絶の意をはっきりと示した者はいなかった。


 丁度その頃、一番ペースの遅かった望子も綺麗に食べ終わり、ごちそうさまでしたと両手を合わせた後、

「それじゃあ、かたづけちゃうね」

「ミコさん、私もやりますよ」

 そう言って、調理を担当した二人が食器を片そうとした時、リエナが急かす様に望子たちに向けて、

「片付けはやっておくから、あんたたちは魔素迷彩マナフラージュの訓練を始めな。 昨日と同じ訓練場でいいからね」

 華奢な背中を押しつつそう言うと、二人は困惑しつつも手を振ったり、一礼してから店を後にした。


「……見せられない程、過酷な訓練なのかしら」


 その時、ハピが何かを察した様にそう言うと、他の二人が勘弁してくれノーサンキューとばかりに手を首を横に振り、

「まぁ……そうだねぇ。 過酷っちゃあ過酷かもしれないけど、それはあんたたち次第だからね。 さぁ、これを片したらあたしたちも移動するよ」

 そんな彼女たちを見遣ったリエナは、ゆっくりと椅子から立ち上がり煙管キセルの火を消しつつそう告げて、机に並べられている皿を片付けようとする。


「……移動って、あたしらも訓練場に行くんならミコたちと一緒に行きゃあ良かったじゃねぇか」


 一方、ふと呟かれたウルの言葉に正論だと言う様に頷くフィンを含めた二人に対し、彼女は首をかしげ、

「ん? あんたたちの行き先は訓練場じゃないよ。 あそこじゃあ……が出る可能性が高いし」

「被害って言った! 今被害って言ったよ!」

「はぁ〜あ! 勘弁してくんねぇかなー!」

 リエナはなるだけ小さく呟いたが、それを聞き逃さなかった二人が上体も起こさぬままに喚き散らす。

 

「ええいうるさい! ほら、これで最後なんだから文句言わずにとっとと立ちな!」


 そんなフィンの叫びにイラッとしたリエナが指をパチンと鳴らすと、以前も店内で見た青い炎の分身ドッペルが出現し、ウルとフィンを片腕で担ぎ上げた。


「ぅわあ! 何で炎がさわれん……んぐ!?」

「熱、くない!? 逆に怖い! 放し……んむぅ!?」


 朝も早くから喚く二人の口を青い炎の縄で塞いだ分身ドッペルたちが、銘々二人を外へと運んでいく。


「全く……ハピ、アド、あたしは先に行ってるから、あんたたちも皿片したら合流する様に、いいね?」

「構わないけど、場所は?」


 深く溜息をつく彼女の確認する様な言葉に対し、アドライトが了承しながらも集合場所を問うと、

「……ウルとあんたがやんちゃした場所さ。 それ以上は言わなくても分かるだろう?」

「……成る程、了解したよ。 それじゃ、また後で」

 口の端を歪めてニィッと笑い、そう告げてきたリエナに、一方のアドライトはそれで全てを察し、足早に店を出たリエナを手を振りつつ見送った。


「ウルと貴女がって……もしかして」


 共同受注した依頼クエストの事は話に聞いていた為、心当たりがあったハピがそう言って彼女に目を向けると、

「あぁ。 間違いなく、あの場所だろうね。 さぁ、早く片して、私たちも合流しよう」

 同じ場所を思い描いているのだろう、そう判断したアドライトはそんな風に仄めかし、ハピも同調する様にこくんと頷いて、後片付けを始めたのだった。


(……少しくらい、元通りになってるかな)


 アドライトの脳裏には、業炎により形を成した竜とも蜥蜴ともつかない怪物が、牙の一撃で討伐対象ごと焼き払った草原……もとい焦土が浮かんでいた。

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