第39話 彼女がふらふらだった理由

 地球と同じ様に東から日が昇り、青々とした草原が少しずつ鮮やかな色を取り戻し始めた頃――。


「……ん〜っ……ふあぁ……」


 寝袋からのそっと小さな身体を起こして、この世界に召喚されたばかりの時の空色のパジャマを着た望子は、ググーッと背伸びしながら軽く欠伸をし、

(まだみんなねて……あれ?)

 きょろきょろと辺りを見回した望子の目には、寝息を立てて眠るウル、フィン、ピアンの姿が映る。


 ――そして、自分より早く起きていたのだろう、眠たげに眼をこすりつつ火の番をするハピの姿も。


 そんな彼女に対して、望子はゆっくりと寝袋から這い出て朝の挨拶をしようとしたのだが、

「とりさん、おはよう……」

『――、――――――』

「……え? なんて? きこえないよ?」

 自分が目覚めた事に気がついたハピがこちらに向けて話しかけている、それは望子にも分かった。


 ――だが、その声が聞こえない。


 ――こちらの声が届いているのかも分からない。


(……あれ? なに、これ……)


 その時、寝ぼけまなこな望子の視界に、焚火の光を反射する透明な何かが映り、それが自分を包んでいるんだと理解した望子がおそるおそるそれに触れると、パチンッ、と音を立てて儚げに割れてしまった。


「わっ……え、しゃぼんだま?」


 自分を覆っていた物の正体に気がついた望子がそう呟くやいなや、それまで聞こえてこなかった柔らかな風の音や、空を舞う鳥たちの声が耳に届き、

「えぇそうよ、おはよう望子」

 パクパクと口を動かしている様にしか見えなかったハピの言葉も、先程までとは違い明瞭に聞こえる。


 ――自分と同じく、朝の挨拶をしていたらしい。


「……あ、おはようとりさん……いまの、なに?」


 改めて挨拶を口にした望子が、いかにも寝起きじみているふわふわとした口調で尋ねると、

「望子が眠る前にフィンに頼んでたの、何かあってからじゃ遅いからって。 さっきのシャボン玉、外側からは割れにくくなってるらしい、のよねぇ……」

 ハピは何故か片方の翼で口元を隠しながら、一応私も見張りはしてたのだけれどと付け加えて答えた。


 ――おそらく、欠伸していたのだろう。


「そ、そうなんだ……とりさん、ありがとうね……あと、いるかさんも……」


 そんな事とは露知らず、普通に眠ってしまった事が途端に申し訳無くなってきた望子は、目をこすりながらハピと未だ眠ったままのフィンにお礼を述べ、

「ふふ、いいのよ……それじゃあ、私は少し寝るわ。 またぬいぐるみに戻してくれる? その方が良く眠れそうなの。 みんなが起きたら、起こしていいからね」

 当のハピは微笑みかけながら望子の綺麗な黒髪を梳く様に撫でつつ、うつらうつらとし始めた為――。


「うん、わかった……『もどって、とりさん』」


 ――ぽんっ。


 望子のお決まりの呟きと共に、お馴染みな間の抜けた音が鳴り、ハピの身体が梟のぬいぐるみに戻る。


 望子は宙で跳ねたそのぬいぐるみをしっかりと抱きしめて、愛おしそうに笑みを浮かべながら、

「……ぇへへ。 おやすみ」

 ぬいぐるみの頭の部分を撫でつつ、先程まで自分が使っていたまだ暖かみの残る寝袋へと優しく置いた。


「……あさごはんつくろう。 なににしようかな」


 その後、望子は無限収納エニグマから赤いバンダナを取り出して頭に巻き、赤と白が基調の女中メイド様な可愛らしい服も取り出してからゴソゴソと着替え、その上からエプロンをつけて料理の準備を進める。


「おやさいたくさんあるし、くだものがはいったさらだと……あったかいすーぷにしようかな?」


 無限収納エニグマに沢山収納されているのだろう食材を手探りで取り出しながら、望子の手に合う小さめのナイフで野菜を刻み、ハピが番をしてくれていたお陰で着いたままの焚火を使って昨日の夜からあらかじめフィンが用意していた水を温め、野菜と干し肉を投入する。


 異世界において、そんな日常的ともとれる匂いと音が辺りに漂い始めた事により、寝転がっていたウルの嗅覚とフィンの聴覚が刺激されたらしく、

「んぁ……? なんか、美味そうな匂いすんな……」

「とんとん、ことこと……あ、朝ご飯?」

 極めて眠たげに目をうっすらと開けた二人が身体を起こして、匂いと音の発生源へ目を向けると、

「おはよう、おおかみさん、いるかさん。 あさごはんもうちょっとでできるから、まっててね?」

 調理する手は止めぬまま、望子が微笑みながら彼女たちへ顔を向けて愛らしい口調でそう告げた。


「くあぁ……おはよう。 手伝える事あるか……?」

「ふあぁ……おはよーみこ……あっ、なんかこれ新婚さんみたいでいいなぁ……」


 すると、ウルは手伝いの申し出を、フィンは寝ぼけているのかそうでないのか分からないが、エプロン姿の望子に感銘を受けていた事は確かだった。


 そして、二人の手伝いもあって調理はスムーズに進み、予想より上手に出来た事を嬉しく思った望子は、

「……よし、かんせい! ふたりとも、ありがとう!」

 完成した干し肉と野菜のスープと、森で収穫した柑橘系の木の実を添えたサラダの盛り合わせを満足げに見ながら、ウルたちに感謝を告げる。


「野菜多めだけど美味そうだな! じゃあ早速……」

「あっ、まって、まだふたりがおきてないから!」


 そんな中、我先にと朝ご飯に手をつけようとしたウルを止めた望子が、ぬいぐるみに戻っているハピと何故かうなされているピアンに目を向けると、ウルはその手をピタッと止めて木製のフォークを置き、

「お、おう。 そうか、そうだよな。 おーいピアン。 起きろー、朝だぞー」

「あさごはんできたよ、『おきて、とりさん』」

 そりゃそうだ、と近くで寝ていたピアンの身体を揺すって、それを見届けた望子は重なって聞こえるその声で寝袋に置いた梟のぬいぐるみに話しかけた。


「……んん〜っ……はぁっ、おはよう望子……ってこれ今日二回目ね、ふふ」

「ぇへへ、そうだね。 おはようとりさ――」


 緑色の淡い光と共に、ぬいぐるみから鳥人ハーピィの姿へと変わったハピと望子との間に、随分と和やかで微笑ましい空気が流れていたそんな時――。


「――ひゃああああっ!?」

「うぉああっ!?」

「ひぇっ!?」


 望子たちの後ろの方から爽やかな朝に似つかわしくないピアンの悲鳴と、その悲鳴に驚いたのだろうウルの叫び声が響いてきた事に望子は彼女以上に驚き、

「ぇ、な、なに……? どうしたの……?」

「い、いやこいつがいきなり…….おい、大丈夫か?」

 おそるおそる振り向いて尋ねると、ウルが望子とピアンを交互に見遣りつつもピアンに手を差し伸べる。


「っあ、あぁ……? あっ、そっ、そうだ、そうだった……! お、おはようございますっ!」

「「「「……?」」」」


 一方のピアンは自分の中で勝手に納得したらしく望子たちに朝の挨拶をしたものの、当の彼女たちはあまりの挙動不審ぶりに首をかしげてしまっていたが、

「……ま、まぁいいや、みんなごはんにしよう? すーぷ、あったかいうちにのんでほしいし……」

 冷める前にと考えた望子がそう提案した事で、ウルもピアンも取り敢えず食事の席につき、しばらく五人で食べ進めていた時、ウルが突然口をひらいた。


「んぐ……なぁ、ピアン」

「ひぁ、はっ、はいっ。 なん、ですか?」


 スープを豪快に飲み干した彼女が声をかけると、当のピアンがビクッとしながらも反応をしたのを見て、

(折角慣れてきてたのに……ウルが驚かすから)

 なーにやってんだかとフィンは脳内で呆れつつ、フォークを咥えながらもぐもぐと野菜を頬張っている。


「……いや、そんなびびんなくても……ただ、昨日聞きそびれたなぁって思っただけなんだよ。 何であんな時間に一人でいたのかってのを」


 また驚かれて望子に叱られてはかなわないと考えたウルが、少し控えめな声量でそう話し出した事で、

「あ、あぁそういえば……すみません、言い忘れてましたね……今、お話してもいいですか?」

 ピアンは自分のミスを謝りながら、食事中の話題を身の上話に切り替えても良いかと四人に尋ねた。


 それを受けた望子が、きかせて? と笑顔で答えると、ありがとうございますと言った彼女が口をひらく。


 ――何でも昨日、彼女は自分が働いている魔道具店の店主に止められていたにも関わらず、魔道具アーティファクトの製作に必要な素材の調達に出かけていたらしい。

 

 その素材とは、今自分たちのいる草原に群れで暮らす『六角猛牛ヘキサホーン』と呼ばれる牛型の魔獣の角。


 ピアンは素材を求めて朝から散々探し回って、夕刻前に漸く群れを見つけたまでは良かったのだが、いざ対面すると足が竦んでしまった様で、帰ろうかと考えた瞬間群れに見つかってしまい、望子たちに出会う寸前まで追いかけられ続けていたとの事だった。


 そう語り終えたピアンは少し涙目になっており、温かなスープの注がれた器をぎゅっと持っていた。


「成る程ねぇ……なぁピアン、手伝ってやろうか? その何とかいう魔獣を捕まえるのをよ」

「……えっ? で、でも」


 そんな彼女を不憫に思ったウルの提案に戸惑うピアンは、案内の約束がと他の三人に目を向けたものの、

「あら、私はいいわよ? もしかしたらその角で私たちの触媒を作ってもらえるかもしれないし」

「要は牛でしょ? 倒した後は焼肉パーティだね!」

「ゆめにでてくるくらいこわかったんだよね? もうだいじょうぶだよ! ね、『うさぎさん』!」

 そんな風に揃って頼もしい言葉をかけてくれた事により、ピアンは思わず潤んでしまい――。


「っ、ぁ、ありがとう、ございます……! よろしく、お願いしますっ……!」


 その赤い双眸からポロポロと涙を零しながら、望子たち四人に頭を下げて感謝を告げていた。


 そんな彼女を慰める様に望子とハピがピアンの頭を撫でたり、背中を優しくさすっている中で――。


(……あれ? じゃあ昨日の音は何だったんだろう……どう考えても牛じゃなかったよね)


(……こいつもならなかったな、ぬいぐるみには……レプのやつだけが条件を満たしてたって事か……?)


 フィンとウルだけはその輪に入らず、それぞれがそんな疑問を胸に沈黙を貫いていたのだった。

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