第33話 敵に捧げる酷寒猛暑

「……ぶ、ぶろぶ? こいつの名前か?」

 ぶよぶよと地面に佇むそれを指差し、二人に尋ねるウル。

「……私の眼には、そう視えてるわ。 ウェバリエ、合ってる?」

 ハピは目の前のそれを輝く眼で見通しながら、横にいるウェバリエに確認する。

「えぇ、間違いなく……。厄介な事になったわね」

 ウェバリエは悔しそうに歯噛みしてその声に応えた。


「……よく分かんねぇけど、とりあえず一発殴って様子見---」

「っ、駄目よ!近づいては駄目!」

 そう言って右腕をぐるぐる回しながら力を溜めるウルの首に、爪の先から放った糸を巻きつけて引き止めるウェバリエ。

「ぅぐぇっ!?」

 多少足早にブロヴの方へ歩き出していたウルは、およそ狼とは思えない潰れた声を上げて仰向けに倒れ、それを見ていたハピはうわぁ、と彼女に憐れみの視線を向けていた。


「……何すんだぁ!元はぬいぐるみでも痛ぇもんは痛ぇんだぞ!!」

 思いっきり後頭部を地面に打ちつけ、若干涙目になっていたウルがそう怒鳴ると、

「ご、ごめんなさい……でも、接近戦は駄目なのよ、ブロヴは触れたものが動植物……つまり命あるものなら、何でも溶かして吸収してしまうの。貴女が強いのは分かってるけど相性ってものが……」

 心底申し訳なさそうに説明するウェバリエ。


「最初に言えよそういう……んぐっ!?」

 頭をさすりながら尚も叫び続けるウルの口が、ひゅおっという音と共に突然大きく開く。

「……今、言い争ってる場合? あれ、這い寄ってきてるわよ。対策は無いの?」

 そこへ割って入ったハピがウルに、右翼の先にある鋭い爪を向けながら、ウェバリエに尋ねる。

「……彼女、どうしたの?苦しそうだけど」

 思わずウェバリエがそう聞き返すと、

「あぁ、口の中に風の弾丸を撃ち込んでみたの。いい感じに口枷になってるわね」

 何でもないかの様にそう語るハピ。


「で?対策は?」

 ハピが再度尋ねると、

「っ、そう、ね、対策は……あるわ。ただ……この三人じゃ、無理かもしれない」

 そう言って、自分以外の二人に眼を向けるウェバリエ。

「……どういう事?」

「一言で言うと、ブロヴの弱点は……熱気か冷気なの。溶かすか凍らせて活動を停止させるかしか無いのよ。私たちじゃ、どうしようも無いわ……」


 諦めた様な表情を浮かべて自分を見るウェバリエに、

「……その子を連れて少し下がっててくれる?」

 少し沈んだ表情でそう言って、ブロヴの真上まで飛び上がるハピ。

 ウェバリエはその表情に少し違和感を感じながらも、未だ、んぐ〜と苦しそうな声を出すウルを引きずっていく。


(……力じゃウルには勝てない、かといって魔術はフィンに劣る……現状、三人の中では私が一番弱く……何より中途半端なのよね)

 決してそれを口にはしないが、身体能力にも、魔術にも特化している訳では無い自分に軽く嫌気がさしていたハピ。

(先の戦いでも一番に倒れて……こんな調子で、望子を守れるのかしら)

 そんな事を考えつつ、右脚の強靭な爪の先だけをブロヴに向け、そこへ緑色の魔力を集中させる。

「……ふっ!」

 短く息を吐いて、爪の先から巨大な真空の砲弾をブロヴに放つ。

 吹き飛ばすでも、貫通させるでもなく、押し潰す為に。


「……凄い、わね。でも……」

 風圧でばきばきと倒される木々を見ながらウェバリエは彼女の力に感心する。

 ---だが。

(……やっぱり、風じゃどうにも……何とか別の手段を---)

 風で陥没する地面から少しずつ這い出てくるブロヴを見ながら、ウェバリエは森を、住処を守る為に思考を働かせる。


 その時---。

「……?な、何?寒気、が……」

 ウェバリエがそう呟いて腕を抱くと、いつの間にか枷が外れていたウルがぜーはーと息を切らして、

「……あ、顎痛ぇ……あんの鳥め、後で覚えて……ん?なんか寒くねぇか?」

 ぶるっと身体を震え上げながら、腕をさすり始める。


「これもしかして、あいつがなんかやって……お、おい!ハピ!」

異常を感じ取ったウルがハピを見上げてそう叫ぶが、

「……ちがう……もっと、ちからを……みこを、まもれるぐらいに……」

 その声は、眼を妖しく輝かせ、ぶつぶつと呟きながら風を放ち続けるハピには届かない。

 それどころか、爪にのみ集中していた魔力は、彼女の身体全てを覆い始めた。


「!?森が……!凍って……!?」

 そう叫ぶウェバリエの悲痛な声の通りに、ハピの爪から放たれる風に吹かれた木々が、みるみる凍りついていく。

(ミコを、って……今ミコはここには……あいつ何言って……)

 ウルはハピの様子がおかしいと判断して、止めようとするが、風のせいで近寄る事も出来ない。


「ぁ……ああああアアアアっ!!!」

 ハピがそう叫んだ瞬間、彼女を覆っていた透き通る様な魔力が巨大な翼竜プテラノドンの形を成し、大きく開いた口の中から吹きつける超低温の風が、全てを吹き飛ばし、凍てつかせんと襲いかかる。


 ---粘液生物ブロヴにも、亜人族デミたちにも。


「やっ、べぇ!ウェバリエ、逃げるぞ!」

「間に合わないわ!ウル、私の後ろへ!」

 ウェバリエはそう言うと、ウルを庇う様に前へ出て、右手を上に掲げ、

「『細糸集合ギャザリング』からの……『蜘蛛巣壁スパイドル』!」

 その先に森に張り巡らせていた糸の殆どを集めたかと思うと、一瞬にして自分たちの前に蜘蛛の巣状の、しかし一切の穴は無い、厚い防護壁を作り出した。

「くぅっ……!もってよ……!」

 ウェバリエが大量の糸と魔力を持って作り上げた壁はハピの放つ超低温の下降気流……地球で言うところの、マイクロバーストの余波で段々と凍りついていく。


(早く止めねぇとあたしらだけじゃねぇ、もしかしたらミコたちにも被害が……!それにあいつ自身も……!こうなったら……!)

「!?ちょ、ちょっと!貴女何を!?」

 最早一刻の猶予も無いと判断したウルは、ハピを止める為に、『蜘蛛巣壁スパイドル』の前に躍り出る。


 吹きつける風で凍っていく身体を動かして、少しずつハピに近寄るウル。

 足元にいたブロヴは、完全に凍てつき、既に事切れていた。

「ミコを守りたい、その為の力を……その一心で……?だからってなぁ……!」

 そう呟きながら、吹き荒ぶ風の中に入り、片方の脚を腕に展開した魔力の爪で掴む。


「アアアア---ア?」

 邪魔が入った事で叫びを止め、ウルを見下ろす翼竜プテラノドン……の中のハピ。

 ウルは彼女がぽろっと流した涙が凍っていくのを見て、ぎりっと歯噛みし、

「馬鹿だなお前は……!それでお前が傷ついて、ミコが悲しむとは思わねぇのかぁ!!」

「……っあ」

 そう叫ぶと同時に、ウルの身体が一瞬赤く輝いたかと思うと---。




 ドッカァアアアア……ン!!!




 という派手な音と共に、強大な魔力の爆発が引き起こされた。

「なっ……!?きゃあああああっ!!」

 ウェバリエを守っていた糸の壁は一瞬で崩れ去り、彼女自身も大きく吹き飛ばされてしまう。

 ばきばき! と周りの木々も次々と薙ぎ倒され、植物の入り混じった土砂と、本来森の中では発生し得ない真紅の火焔の舞う中、少しずつ爆発の勢いが弱まっていく。


「っあ、熱っ……な、なにが、起こって……あ、あの二人は!?まさか、今ので……!」

 壁を張っていたお陰で何とか軽傷で済んだウェバリエは、痛む身体を押して八本の脚で歩き出す。

 無事でいて、と願い、爆発の影響で未だ轟々と土と火の煙が上がる場所へ歩み寄るウェバリエ。


 ……だが、そこに彼女たちの姿は無い。

 勿論、事の発端となった粘液生物ブロヴも、跡形もなく吹き飛んでいたが。

(そん、な……せっかく、ブロヴを倒せても、二人が無事でないなら何の意味も……ミコちゃんたちに、なんて言えば……)


 失意に暮れ、長い脚を折り曲げ俯いてしまうウェバリエ。

 その時、ざっ、と誰かが歩いてくる音が彼女の耳に入る。

(……!まさかっ)

 そう思い、ばっと顔を上げた先には、

「はーっ……疲れたぜ、まじで……」

 そんな風に愚痴を吐きながら、少し晴れた土煙の向こう側から、意識を失ったハピに肩を貸したウルが歩いてきていた。


「良かった!無事だったのね!」

 ウェバリエは感極まってウルに抱きつく。

「ぐえっ!……ちょ、ちょっと待て!胸が邪魔で息出来ねぇ!」

 ウェバリエの豊満な胸に顔を圧迫されていたウルは苦しそうにそう叫んだ。


「あ、そ、そうよね、ごめんなさい。でも、本当に良かった……!一体何があったの?」

 無事を喜びつつも、ウェバリエがそう尋ねると、

「ん?あぁ、ほらこれ」

 空いた方の手を前にやり、彼女がそこへ魔力を集めた瞬間、ぼぅっ!という音と共に、爪から真紅の炎が出て、あっという間に彼女の左手は炎に包まれた。


「……!これって……」

「あぁ、あたしの新たな力、みたいだな。熱と冷気がぶつかって、爆発したんだろうよ」

「そう、なのね……あっ、私、ミコちゃんたちを呼んでくるわね!」

 ウェバリエは、今の音であの二人も気づいたでしょうし、と言って、彼女たちが歩いてきた道を、新たに糸を張りながら戻っていく。


 

(……ったく、心配かけやがって。ミコを守りてぇのはお前だけじゃねぇんだってのに)

 ---残されたウルは、頭の中でそう呟きながらも、どこか誇らしげな表情を浮かべていた。

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