第28話 小屋の中には

 望子くらいの少女が王都を出立して、一日、或いは二日程歩いた場所に位置する、広葉樹を中心に生い茂る木々の緑が鮮やかなサーカ大森林。


 ウルとフィン、そしてぬいぐるみ状態のハピを抱えた望子の三人は、そんな鬱蒼とした森の中で――。


「「「うわぁああああああああ!!!」」」


 ――追われていた。


 ――それはもう、追いかけられていた。


 きっかけは、ウルのとある一言だったか。


 空気がおいしいねぇ、そうだね、とそんな会話をするフィンと望子の前を歩いていたウルが、

「お前らもうちょっと緊張感ってもんを……ん?」

 何が出るかも分からない森の中で呑気に話す二人に、振り返って苦言を呈そうとした。


 だが彼女は、その言葉を最後まで言い切る事無く、疑問の声と共に自慢の鼻をすんすんと鳴らし、

「どうしたの? おおかみさん」

「何かいた? それとも水の匂いとか? 綺麗な川とか湖なら嬉しいなぁ」

 そんな彼女の様子を不思議そうに見て、かたや望子は単純に気になって、かたやフィンは未知の水場に想いを馳せて、それぞれ声をかける。


「いや、何かこう……甘い匂いがする」

「「あまい?」」


 未だ鼻を鳴らしたまま応えたウルの言葉に思わず声が重なり、ぇへへ、と顔を見合わせる二人に対し、

「……とにかく、もうちょっと奥に進んだ先からすげぇいい感じの匂いがすんだよ。 行ってみよーぜ」

 少しイラッとしたウル――無論フィンに――がそう言って、先を急ごうと歩を進めた。


「あっ、まってよおおかみさん」

「すぐ機嫌損ねて……反抗期?」

「お前にだけは言われたくねぇ!」


 そんな会話をした後、三人は鬱蒼とした木々によりうっすらとしか陽の射さない森の中を歩いていく。


 道中、鹿の親子を見て和んだり、巨大な牙を携えた猪の魔獣に襲われるも返り討ちにしたりと色々あったが、何より彼女たちが目を奪われたのは――。


「うわっ」

「……そりゃまぁ、さっきみたいな奴らがいるんだから、こういう事もあるんだろうがな……」


 何故か少しの神々しささえ感じる大木にもたれかかる様に息を引き取ったと見える、身体のあちこちに穴が空き、すっかり痩せこけた男女一組の人族ヒューマンの死体。


 ……その全身には、既につたが這い回る様に絡みつき、太い根が張り一体化してしまっていた。


「……はーい、みこはあっち向いててねー」

「え、ど、どうしたの? なにかあったの?」


 それを見たフィンは、明らかに悪影響だと判断し、望子が視界に入れる前に死体から背を向けさせる。


 あまり陽の射さない森の中は随分と涼しく、ゆえにそこそこの時間が経っていそうなその死体からはまだ大した死臭も漂っておらず、されど超人的な嗅覚を持つウルには充分過ぎる程に死臭それを感じ取れていた。


(屍肉喰いハイエナでもねぇしな……ん?)


 心底嫌そうな表情のまま鼻を手で覆いつつ、その死体をジロジロと観察していた時、

(……こいつ、なんか握ってやがんな)

 死後の硬直によってか、細い女性の手にそぐわず随分と強く握りしめられていた薄紫色の四角い何かに、好奇心に負けたウルは何でも無いかの様に取り出す。


(賽子サイコロ……いや、ただのちっせぇ箱か。 なんか入ってる訳じゃねぇのか……?)


 その拍子に死体の指はボロッと崩れてしまっていたが、全く気に留める事もなく手にした小さな薄紫色の立方体を興味深そうに見つめていたその時――。


「あっ! あれってハピが言ってた小屋じゃない? 冒険者が休んだりしてたってやつ!」


 突然フィンが上げたその声にビクッと驚き、思わずその小さな立方体を腰に巻くタイプの革の鞄に入れ、

「っ!? え、ど、何処だ!?」

 死体を漁るなどという望子が知れば確実に嫌われるであろう行為をしてしまったウルは、それを誤魔化すかの様にわざわざ声を大にして反応した。


「ほら、あれあれ! ちょっとボロい感じだけど!」


 彼女が指差した先には、朽ち果てた……とまではいかないが、言葉通りにボロボロな小屋が建っており、

「お、おぉ! あれか! そういや甘い匂いもあの小屋の方からするぜ! 中に菓子でもあんのかな!」

 とにかく早急にこの場を離れたいウルは、よし行こうぜ! と何とか取り繕って二人を先導する。


「おおかみさん、なにかあったのかな……」


 一方、どう見ても様子のおかしい彼女を見ていた望子は、若干心配そうな表情を浮かべていたが、

「……みこ。 年頃の女の子にはね、色んな秘密があるんだよ。 ウルもきっとそうなんじゃないかな」

「……! じゃあ、そっとしてあげたほうがいいよね」

 フィンの大人な言い回しに感銘を受け得心した様に頷き、フィンと共にウルの後をついていく。


 少し歩いた先にポツンと建っていたそれは見れば見る程ボロボロであり、ひびの入った窓には古ぼけたカーテンが掛かっていて中を確認する事は出来ない。


「……ねぇ、やめようよ。 なんかこわいよ? たしかにちょっといいにおいするけど……」


 図らずもホラー映画の予告を見てしまった時の様な感覚に襲われ、小屋の確認を渋る望子に対し、

「だーいじょうぶだって! あたしらがいるだろ? 魔族の幹部とかでもなきゃどうにでもなるって!」

「何でも来いとは言えないのがもうね」

 ウルは望子を安心させようと声をかけるも、フィンはその言葉を聞いて余計に不安が募ってしまう。


「ま、取り敢えずけてみよーぜ……おっ、何だ? 鍵かかってんな、このっ」


 そう言って、小屋全体のボロさに比べてそこそこしっかりした鍵がかけられた扉をガチャガチャとさせるウルを、望子がハラハラと心配そうな目で見る一方、

(……? 何の、音? これ、小屋の中から……?)

 フィンは二人から少し離れた位置で首をかしげており、そんな彼女の頭の横から生えた耳の役割を持つ鰭がピコピコと跳ねて、ブゥウウウウ---……ン、という極めて小さく、されど耳障りな音を捉えていた。


「……ねぇ、みこじゃ無いけど……ボクもちょっとやめといた方がいいと思――」

「……ふんっ!」


 ……バキッ。


「「あっ」」

「よっしいた」


 しかしフィンの制止も虚しく、結局普通には開けられなかったウルが無理矢理鍵を壊してしまう。


「さてさて中には〜っ……と……?」


 ニヤついた笑顔でそう口にした言葉がフェードアウトし、ウルは完全に硬直してしまっていた。


 ――無理もないだろう。


 鍵を壊してまでけた扉の向こう……その小屋の中には、壁や天井にへばりついた栗色の巨大な巣と、その周りを飛び交う大きな蜂がわんさかいたのだから。


「ぇ、ぁ……?」


 望子がそのあまりの光景に思考を止める中、ウルとフィンがこそっと呟き合い、

(……に、逃げるぞ)

(そっとね! そっと閉めてね扉!)

 そんな会話をしながら、明らかな元凶であるウルがゆっくりと鍵の壊れた扉を閉めていく。


(ゆっくり! ゆっくりね! お願いだから!)

(あ、あわわ……)


 戦々恐々とする望子とフィンが見守る中、ウルは何とかその扉を……パタン、と閉じる事に成功した。


((はーーーっ……))


 望子とフィンが、危機を回避したその安堵からか深い深い息を吐き……元凶とはいえ、頑張ったのは事実なので、望子は自分なりにウルを労おうとした。


「あ、ありがとね、おおかみさ――」


「……いやー! 危ねぇ危ねぇ! 全く一時はどうなる事かと――」


「「あっ」」


 ――ドン! ドンドンドン!!


 ――バキャアッ!!


 完全に気を抜いてしまっていたウルの大声に反応した大きな蜂の群れが、壊れた扉を突き破って望子たちにその鋭い針を向け、強靭な顎を鳴らして威嚇する。


「……に、逃げるぞお前らぁああああ!!」

「みこ、おいで! 抱っこしてあげるから!」

「うわぁああああん!」


 ウルの叫びと全力逃走を皮切りに、フィンは望子を抱えて宙を泳ぎ、望子はハピ……もとい、ぬいぐるみを抱きしめながら一心不乱に追ってくる蜂に怯える。


 ――ハピが起きていれば分かった事ではあるが、その蜂の名は……鋭刃蜜蜂シェイドル


 この世界における普通の蜜蜂が過剰な悪の魔素、魔族の力の余波を受けた事で進化した……邪悪な魔蟲。


 好物は、良質な魔力を帯びた同種以外の……肉。

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