第26話 魔王コアノル=エルテンス
望子の中から突如現れた《それ》の力により、ラスガルドとの決着がつかんとしていた頃、召喚勇者の元へ向かわせる部下を選抜する為に、魔族領に存在する魔王城へと帰還していた魔王の側近、デクストラ。
(この時間なら起きていらっしゃる筈ですが……)
彼女は脳内でそう呟きつつ、コンコンコンと控えめに大きく絢爛な扉をノックしながら、
「コアノル様。 不肖デクストラ、ただ今帰還致しました。 つきましては、ルニア王国王都、セニルニアにて召喚された勇者様についてのご報告を、と……?」
透き通る様な声で話していたデクストラの言葉を遮って、黒と白を基調とした扉が開く。
「……コアノル様? どうなさったんですか、そちらから
敬愛する上司である筈の魔王に対し、彼女が心底意外だと言わんばかりにそう問いかけると――。
「……お主の物言いは一々棘があるのぅ。 妾はこれでも魔王じゃぞ? この世界の覇者……となる予定じゃぞ? もそっと敬わんかデクストラよ」
濃い紫色の長髪と同じ色の綺麗な瞳、魔族特有の褐色の肌に、小さな口からチラッと見える八重歯、畳まれた状態の彼女の身の丈程もある蝙蝠の様な翼、そしてクルンと捻じ曲がった黒い双角と二叉の尻尾。
望子よりは大きいがそれでも幼く、されど出るべき所は出たその身体……属性過多ともいうべき程の特徴を備えた彼女こそが、魔王コアノル=エルテンス。
……この世界を、支配せんとする存在。
そんな彼女は、自身の右腕とも呼べるデクストラを前に、お気に入りの赤いベッドで寝転がっている。
「……コアノル様。 もう幾度と無く申し上げておりますが、私しかいないからと倦怠を露わにするのはやめて頂きたい。 貴女は世界の覇者なのでしょう?」
彼女の側近であり唯一意見出来る存在であるデクストラが、目の前の魔王の素行に苦言を呈するも、
「ふん。 事実退屈なのじゃから仕方あるまい。 この世界の愛らしい物は大抵手に入れ、その殆どに飽きが来てしもうた。 どうせ妾のやる事などお主を介して命令を下す、それだけじゃからの。 自室での寛ぎ方くらいは自由にさせて欲しいものじゃがな」
だが当のコアノルは、知ったことかと言う様に足をパタパタさせながら可愛らしい声でそう応える。
そんな彼女を見てデクストラは思わず、はぁ〜っ、と大きな溜息をついてしまい、
(やる時はやるお方ですし、そのお力も本物ですが……どうにもムラがあるというか……)
脳内でそんな風に呟いて呆れつつ、部屋の窓から見える常闇の魔族領をふと視界に入れていた。
……常闇というのは、決して比喩表現では無い。
魔族領は、魔王コアノルのあまりにも強大な闇の魔力の影響により、陽が昇る事は無い……所謂極夜の状態にあり、
最も、魔族の眼はこの世界のどんな種族よりも闇を見通す事に長けている為、特に困る事は無いが。
「で? お主、報告があって来たのではなかったか? あの随分と愛らしい……召喚勇者について」
一方、つまらなさそうに会話していた先程までとは違い、わくわくした様子のコアノルがそう言うと、
「……あぁ、そういえばそうでしたね。 コアノル様のあまりの堕落ぶりで、頭から抜けていましたよ」
全く敬う様子の見えないそんな言動をしつつ、デクストラは再び深く大きく溜息をついた。
「……のぅデクストラ。 お主本当に妾を尊敬しておるか? 実はいつの間にか、中身が異世界人に入れ替わっておったりせんか……?」
グチグチとデクストラが吐く毒に対し、若干の疑心暗鬼と共におずおずと問いかけるも、
「何を仰いますか。 私は生まれも育ちもこの世界、正真正銘貴女様の魔族です。 勿論敬服もしてますよ? そうで無ければ側近など務められません」
デクストラはニッコリと微笑んで、平然とそんな恥ずかしい事を言ってのけてしまう。
「そ……そうか。 なら良いのじゃが」
(……キチンと仕事をしていれば、ですが)
満更でも無い様子の魔王を見ながらボソッと呟くとコアノルが、何か申したか? と問うてきたものの、
「いえ、何も」
彼女は淡々とそう返し、そろそろ報告に移ろうと望子について粗方纏めてある書類をコアノルに手渡す。
「では、報告させて頂きます。 この度、セニルニアにて召喚された勇者様……ミコ様について」
「うむ! うむうむ! 楽しみじゃな!」
ベッドに頬杖をつき、バサッと広げた書類を見ながら寝転がる魔王相手に報告をしなければならない、そんな事実に呆れつつも慣れてきていた彼女は、
「まずは、ミコ様の魔力に関してですが――」
殆ど無心、かつ無表情で最初の題目を唱えて報告を開始しようとしたのだが――。
「……妾が最も聞きたいのは、お主が直に見たミコの容姿についての感想なんじゃが」
……開始数秒で茶々を入れてきた。
何か可愛い物を見つけた時はいつもこうで、相手側の事情など一切考慮しない。
……例えそれが、
(……大丈夫、いつもの事ですし)
脳内で自分にそう言い聞かせつつ、はぁ、と深く重く嘆息してから真紅の唇を動かし、
「……それはまた後程に。 ミコ様の魔力量に関してですが……一つ、興味深い事がありまして」
「お主程の魔術巧者がか? それは確かに気になるの」
改めて望子についての報告を進めると、彼女の有能さや勤勉さを充分に理解しているコアノルが、それでも尚興味深いと言うデクストラの言葉が気になり、途端に身体を起こしてベッドの上で胡座をかき始めた。
(やっと話を聞く姿勢になりましたね……)
とはいえ胡座もどうなのだろう、と言われてしまえばそれまでなのだが、コアノルの中ではこの体勢こそが最も乗り気な瞬間である事を彼女は知っている。
「まず、ミコ様が
そう語り出したデクストラは、実を言うと
「うむ、単なる
一方、デクストラの言葉を受けたコアノルは、未だ脳裏に浮かぶ愛らしい勇者の姿に満足げに頷きつつ、
(……あの
何故かあの三人の
「仰る通りかと……ではコアノル様。 貴女様は、一般的な
そんな事を考えていたコアノルに向けて、随分と今更な質問を投げかけてきたデクストラに対し、
「方法も何も……最初に自らの魔力を二分して、半分を残し……もう半分を操る
妾ならば十体でも二十体でもいけるじゃろうがの、と付け加えつつ
「では続きを……といっても後はほぼ結論のみなのですが、ミコ様の分配方法は一般的なものと全く異なる様でして、
ハピの眼程では無いとはいえ、彼女の眼も対象の魔力量くらいならば簡単に見通せる為、望子たちを見た時に覚えた違和感の正体を理由づけしてそう告げた。
「……ん? という事は、あの
まるで研究者かの様な口振りで語るデクストラの言葉に、疑問を
「術者がミコ様である事は疑いようもありません。 ただ、結果だけを見ると彼女たちはミコ様と繋がっていながら、独立した存在でもあると言う他無いのです」
彼女はゆっくりと首を横に振り、あくまでも自分の眼で見た事実に基づいて彼女なりの推論を口にする。
「う〜む、何がなんやら……む?」
「? コアノル様? いかがされました?」
少しの間二人で頭を悩ませていると、コアノルが不意に顔を上げて唸り、それを不思議に感じたデクストラが、話題の転換も兼ねて問いかけると――。
「……ラスガルドが死んだ」
コアノルは、目の前のデクストラの薄紫の双眸をしっかりと見つめて……静かな声音でそう告げた。
「……なっ!? それは本当ですか……!?」
「……妾がこんな下らん嘘をつくと?」
「っ!も、申し訳ございません」
思わず疑いの言葉を投げかけてしまったデクストラに対し、それだけで
……それもその筈、ラスガルドという
「……正確には突然消えたという感じじゃな。 お主と幹部どもには妾の魔力を直接分けておるから、お主らが死ねば妾にその魔力が戻って来る。 じゃが……死んだ筈のラスガルドに分けた魔力が戻って来ぬ」
真剣な表情でそう語るコアノルに、いつもこうならと思わずにはいられないデクストラだったが、
(……今はそれどころではありませんね)
コアノルに気づかれない程度に首を横に振って気を取り直し、少し俯き気味の魔王に向けて、
「……コアノル様。 ラスガルドが死んだ……かもしれないという事は、王都襲撃は失敗に終わったのでしょう。 ルニア王国の始末の件はいかがなさいますか?」
こちらも真面目な表情を浮かべ、すっかり魔王然とした顔つきとなったコアノルの指示を待つ。
一方コアノルは未だ胡座をかいたまま、ふむと唸って腕を組み思案した後ゆっくりと顔を上げてから、
「……仕方無い、あの国は一旦捨て置く。 いずれは亡すがの。 恐らくラスガルドをやったのはあの
頼れる自身の右腕に、クルクルと纏めた書類を投げ返しつつ、確かな力持つその声音で命じてみせた。
(最後の一言が無ければ……)
相変わらずな上司の発言に少々毒気を抜かれるデクストラだったが、近年ここまで魔王らしかった事も無く、デクストラはやる気に満ち溢れていた。
「
その時、すぐにでも向かわせる者の選抜をと考えて部屋を後にしようとしていたデクストラに、
「……あぁ、ちょっと待て」
「はい、何か?」
突然コアノルが声をかけてきた事で、パッと反応したデクストラがそう言って振り返ったのだが……振り返った先に、コアノルはいなかった。
「え……?」
思わず疑問の声を上げたのも束の間、彼女の背後から小さく……されど強く耳に響く甘い声で――。
「『
――そう、聞こえた瞬間。
「ぅ、ぐぅうううっ!?」
デクストラの頭上から押し潰す様に、質量を持った黒い雷の柱が落ちてきた……
(な、何故魔王様が私をっ……!?)
それがコアノルの得意とする魔術である事を理解していても、何故自分に放ったのか、と苦痛の声を上げながらそう考えていると、ふっとその雷が消えた様に感じ、痛みや痺れもすっかり無くなっていた。
「お主も知っておるじゃろうが、この魔術は精神に干渉するものじゃからな。 実際に闇の雷が落ちた訳では無い……良いかデクストラ、これは警告じゃ」
「けい、こく……?」
息も絶え絶えといったデクストラの反応に、うむうむ、と満足げに頷いたコアノルは、
「……
段々と気迫を増していくその言葉にデクストラが畏怖を覚え始めた頃、彼女は一呼吸置いてから倒れ伏すデクストラを見下ろす様にして――。
「誰であろうが殺す。 精兵たちであろうと、幹部であろうと……例え、妾の頼れる右腕であろうとな」
デクストラが本来味方であるはずの『魔王』という存在に戦慄を覚えたのは……他種族との大戦時、たった一度の魔術の行使で大陸一つを征服してしまった彼女を傍で見て以来であった。
デクストラは震える身体に鞭打って、図らずも
「……っ、はい。 残り二人の幹部から……末端に至るまで、漏れ無く伝達致します」
身体と同じく震える声でそう言うと、コアノルはニパッと見た目相応の幼い笑顔を浮かべて、
「うむうむ! そうか、ならば良い! さぁ、行って参れ! 期待しておるぞ? 我が頼れる右腕よ!」
もう下がって良いぞ、と言わんばかりに手をヒラヒラと振りつつ、震える彼女を送り出そうとする。
(……私もまだまだですね、この方の側近に相応しい魔族にならねばなりません)
その一方で、改めて魔王の力を思い知ったデクストラが無言で頭を下げ、部屋から出ていった後――。
「……ふふ。 まだまだ青いの、デクストラ」
――そんな魔王の呟きが、少女趣味なのか随分とファンシーな彼女の自室に響いていた。
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