第24話 『裁縫』と『再縫』

「……っ、はぁっ、はぁ……っ、ウル! ハピ! フィン! 皆無事か!? 魔族はどうなった!?」


 魔王軍幹部とその配下二人が《それ》によってあっさりとたおされ、王の間を静寂が包んでいた時、息を切らして王の間へ駆け込んできたのは《それ》の力によって命を拾ったばかりのレプターだった。


「レ、レプ、お前……!」


 床に座り込むウルがググッと身体を彼女の方へ向けつつ、色々聞きたい事があってか口をひらくも、

「っ、良かった! 無事……では無いな、だがよく生きていてくれた! 本当に、本当に良かった……!」

 傷に障るからあまり喋るなとでも言わんばかりにウルの言葉を遮って、レプターは彼女の身体を支える。


 ウルはそんな彼女に対し、自分の体調などより優先して聞くべき事があると考えて、

「お前も随分ボロボロだけどな……いやそれよりミコの事だ。 お前、あれが何だか知ってるか?」

 少し離れた場所に立つ《それ》に目を向けながら、自分と同じく傷だらけのレプターに問いかけた。


 するとレプターは彼女の期待に反してゆっくりと首を横に振り、されど何故か得意げな表情を見せつつ、

「いや、私にも教えては下さらなかった。 だがあの方は間違いなく、私と……そしてミコ様の命も救って下さった。 私にとってはあの方もまた……勇者だ」

「そういう事が聞きてぇんじゃねぇんだがな……」

 予想していたよりも随分的外れな回答が返ってきた事で、ウルは少しだけげんなりしてしまう。


 ……ウルはもう一度、《それ》を見遣る。


 《それ》は、ラスガルドを吸い込んだ小さな右手をニギニギとしながらふふっと微笑んでおり、

(……何なんだよ、あいつは)

 自分に……自分たちにとって最も大切な存在と同じ顔の筈なのに、とても不気味に思えて仕方無かった。


 少しの間ウルが見つめていると、その視線に気がついた訳では無いのか《それ》はレプターに目を向け、

《もう終わってしまったよ、龍人ドラゴニュート。 『送迎ピックアップ』で一緒に連れて来たのに、随分遅れたね?》

 相も変わらず望子と同じ声音で、それでいて舌足らずな望子とは違い流暢にそう口にする。


 ……送迎ピックアップとは、《それ》と誰かが行き先を指定して複数で瞬間移動出来る、転移の魔術に似た力だった。


 その言葉を必要以上に重く受け止めたレプターは、ウルを支えたままの姿勢でバッと頭を下げて、

「あ、も、申し訳ありません! 城にいた筈の者たちの生存確認をしておりまして……!」

 結局、予想通りに生存者など誰一人として見つからなかったものの、それでも確認しない訳にはいかなかった彼女は《それ》に向けて深く謝罪した。


 その一方で、いやいや、と首と手を振った《それ》はレプターから視線を外しつつ、

《あぁ、大丈夫。 謝らなくていいよ。 それより、あの二人を何とかしなきゃね》

 いてもいなくても同じだったし、と考えていた事は口にせず、未だ意識を手放しているハピとフィンに目を向けると、ウルがその言葉に思わずハッとする。


「! そ、そうだ! ハピ! フィン! いや忘れてたわけじゃねぇんだけど……!」


 誰に言い訳するでも無くそう叫んで立ち上がり、二人の元に駆け寄ろうとしたのだが、

「ぅっ、いっ、てぇ……!」

 唯一意識があるとはいってもウル自身、相当な重傷であり、あまりの痛みにうずくまってしまった。


「ウル! 大丈夫か!? ハピも重傷を……それに、フィンの浅黒い褐色の肌……! これではまるで……っ!」


 ――魔族ではないか。


 そう告げようとしたレプターは、自分を仲間だと呼んでくれた者にそんな事を言うのは、と瞬時に判断して口を片手で押さえて言葉を止める。


「そ、そういや魔族の力を取り込んだとか何とか」


 ウルは戦いの最中、ラスガルドが高らかに叫んでいた言葉を不意に思い出して呟き、

「な、何だと!? 一体どうやって……い、いやそれより早く何とかしないと、このままではフィンが!」

 その言葉に驚愕を露わにしつつも、レプターは一旦ウルを座らせてからフィンに駆け寄り、優しく上体を起こして声をかけるが、一切反応は無い。


 すると、いつの間にか近くまで歩いてきていた《それ》が、その低い身長で彼女たちを見下ろし、

「……お、おい、何する気だ?」

 先程の妖しい笑みを見てしまっていたウルが、完全に疑心暗鬼でおそるおそる尋ねると、

《ん? 何って……『治す』んだよ? いや、君たちの場合は『直す』、の方がいいかな》

 まるで揶揄う様にそう言って、ヒューヒュー、と浅い呼吸をするフィン、仰向けに倒れたまま物言わぬハピ……そして怪訝な顔をするウルに向けて――。


《――戻れ》


 ……そう、一言だけ呟くと。


 ぽぽぽんっ


 少なくともレプターにとっては聞き覚えのあるそんな音と共に、彼女たち三人がぬいぐるみに戻る。


 一つだけ前と違うのは、そのぬいぐるみが長年使い古されたかの様にボロボロになっている事であり、狼のぬいぐるみは全身が裂けて綿が飛び出し、梟のぬいぐるみは羽の部分が重点的に傷だらけのうえ、左脚がほつれて取れかけており、海豚のぬいぐるみに至っては、その全身を黒い煤の様な何かで覆われていた。


《……よし、こんなもんかな》

 だが《それ》は、明らかに異常なぬいぐるみを見ても尚満足そうに頷いて床にしゃがみ込む。


「あ、あの……直す、というと……?」


 一方いまいち要領を得ないレプターが《それ》に尋ねると、《それ》はさも当然だというような表情で、

《あぁ、彼女たちはこの子が……望子がつくったぬいぐるみだからね。 ほつれも汚れも、今までちゃんと直してきてるんだよ。 勿論、元の世界での話だけどね》

 ここが望子たちにとっての異世界である、という事をレプターが理解している事を前提にそう告げた。


「つ、つまり……?」

《こういう事だよ。 まぁ、見てて》


 自信ありげにそう呟いた《それ》の手に、先程の様に再び白く神々しい光が集まり始め、

《この程度なら詠唱はいらないかな……さぁ、仕立てるよ――『裁縫ソーイング』》

 術名の様なものを口にすると同時に、光が徐々に形を成して……銀色に輝く縫針と糸になった。


 瞬間、《それ》の手から針と糸が離れ、優先的に狼と梟のぬいぐるみを縫い始めた事で、

「これは……裁縫?」

 確認せずとも裁縫だとは分かったが、思わず疑問を声に出してしまったレプターに対し、

《そうだね。 本当はぬいぐるみに戻す必要も無いんだけど、こっちの方がやりやすいんだ》

「は、はぁ」

 そんなふわっとした会話をしている間に、狼と梟、二つのぬいぐるみは元の綺麗な状態に直っていた。


 《それ》はぬいぐるみの状態を見て、満足そうにうんうんと頷いてから口をひらき――。


《――起きて》


 小さく小さく呟くと、二つのぬいぐるみは赤と青の淡い光を放ちながら段々と傷を負う前のウルとハピの姿となり、二人はほぼ同時にうっすらと目をける。


「……! ウル! ハピ! 直ったんだな!」


 自分に何が起こったのか分からず、困惑気味の二人に対して、レプターが心底嬉しそうに叫ぶと、

「ん、あ、あぁ……みたいだな」

「ぇ……あ、あら? 私……って、望子!? どうしてここにっ、ここは危ないか、ら……?」

 事情を理解していないハピはここにいる筈の無い望子の姿に驚くと同時に、魔族との戦闘中かもしれないのだから逃げてと言おうとしたが、妖しく光る翠緑の眼で《それ》を視た瞬間、強い違和感を覚えた。


「……貴女、誰? 名前が、視えない……望子は? 望子を何処へやったの!? 返しなさい!!」


 鑑定シントに似た性質を待つハピの眼に、『舞園まいぞの望子みこ』とこの世界の文字で視える筈の名前が視えず、彼女は望子が何かに身体を奪われてしまったのではと考え、半ばパニック状態となってしまっていたのだった。


 《それ》は、ガクガクとハピに身体を揺らされながら、どうやら正体を明かす訳にはいかないらしく、

《あー……どう説明したらいいのかな》

 あくまでも望子の声音でそう呟くがハピの追及は止まる様子も無く、苦笑いを浮かべていたところへ、

「ハピ、待ってくれ! ミコが心配なのは分かるが、それより先にこいつを何とかしねぇと!」

 怪我が治って元気になったウルが割って入り、望子は大丈夫だからとばかりに、未だ黒く染まったぬいぐるみのままのフィンを床から持ち上げて声を荒げる。


 一方ハピは、何が大丈夫なのよと声を大にして反論しようとしたのだが、そのぬいぐるみを見た途端、

「……っ!? あっ、そ、そうだった……! フィン! 貴女本当に……ごめん、なさい……っ」

 完全に《それ》に気を取られてフィンの事が頭から抜けていた彼女が、ぬいぐるみにそっと手を触れて、約束を守れなかった事を悔やんでいた。


 そんなハピの言葉を耳にしたレプターが、おそるおそる彼女の肩に手を置いてから、

「……ハピ、貴女は……何か知っているのか」

 まさか貴女が原因か? とでも言いたげな口調で、その手に少しだけ力を込める。


 細く綺麗な肩を襲うほんの少しの痛みに表情を歪めつつも、ハピはゆっくりと形の良い唇を動かして、

「っ、えぇ……この、普通じゃどうやってもあの魔族には勝てないからって、魔族の体液を飲み込んで自分の力にしようとしたのよ……」

「「はぁ!?」

 神妙な面持ちで応えたハピの言葉を、ウルとレプターは信じられないといった表情で揃って驚愕した。


「こんの馬鹿……! 何で止めなかった!? お前がちゃんと止めてりゃフィンはこんな事には……!」

 無論、そんな風に責め立てるウルも魔族の力を得たフィンがラスガルドを押していた時は、お前が頼りだとばかりに祈っていたのだが……それはそれ。


 ……ハピがそれを知らないというのも大きい。


 ひるがえって自分も原因の一端であると自覚しているハピは、胸倉を掴んできたウルを睨み返して、

「わっ、分かってるし……分かってたわよ! でも仕方無いじゃないの! あの時のあのの目は本気だったわ! 貴女でもきっと止められなかった!」

「なっ、てめぇ……!」

 あわや掴み合いの喧嘩に発展しそうになったその瞬間、唐突に《それ》が口を挟んできた。


《……もういいかな? 今から人魚マーメイドを直したいんだけど、集中したいから黙っててくれる?》


「「……っ」」


 可愛らしい望子の声音で告げられた、うるさいから黙ってろとの冷たい言葉に、二人はバツが悪そうに顔を見合わせ、その口を閉じる。


《うんうん、この子……望子だって、君たちの喧嘩なんて見たくないだろうしね……っと》


 一方の《それ》はそう言いながらも、出現させた縫針と糸をふわふわと宙に浮かべたまま、ウルから海豚のぬいぐるみを手渡してもらい、少しずつぬいぐるみの全身を這い回っている様にも見える黒色の何かを辟易へきえきとした表情で見つめながら――。


《あらんばかりの創造を、溢れんばかりの再生を。 全ては我が手の思うがままに》


めぐれ――『再縫リソーイング』》


 そう詠唱し、術名の様な何かを口にした瞬間、先程は銀色に輝いていた針と糸が黄金色に輝きだし、先の二人と同じ様に自動でちくちくと縫い始める。


「え……何あれ、一体どういう……」

「……あのな。 ハピ、こいつは――」


 目の前で起きている光景を理解出来ないハピに、自分も大して話せる事は無いが、知っているだけの情報を伝えている間に、ぬいぐるみを覆っていた黒い煤の様な何かは消え去り、ほつれも汚れも一切無い、綺麗な海豚のぬいぐるみへと戻っていた。


 ……少しだけ以前と違うところを挙げるとするならば、黒く染まっていた部分が縫針や糸と同じ黄金色に輝いている様に見える……という事くらいだろう。


「こ、これで、フィンは……?」

《大丈夫じゃないかな――『おはよう』》


 おずおずとしたレプターの声に応えて、《それ》が海豚のぬいぐるみに向けてそう告げると――。


 先の二人よりも遥かに強い、青と金色が混ざった光を放ち、ぬいぐるみが健常なフィンの姿に戻る。


「……ぅ、ぅうん? あれ、ここは……?」

「良かった! 大丈夫なんだよな!?」

「フィン! 本当にごめんなさい! 貴女にばかり辛い目を……! 約束も、守れなくて……本当に……!」

「ぇ、えぇ?」


 真っ先に駆け寄ってきた途端、心配と贖罪、それぞれがそんな感情を込めて声をかける二人に、何これ? とフィンは起きたばかりで困惑気味だった。


 一方、少し出遅れてしまったものの、うんうんと頷きながら一件落着した事を喜んでいたレプターが、

「良かったな、みんな……これも全て、あなたのお陰です。 本当にありがとうござい、ます……?」

 隣に立つ《それ》に対して深々と礼を述べたはいいが、何故か《それ》はやたらと眠たげにしている。


《……お礼は、いらないよ。 それより、この子を……望子を、よろし、く……》

「なっ、え……!?」

 

 フェードアウトしていくその声と共に、《それ》が前のめりに倒れ始めたのを見たレプターが、驚きの声を上げつつ受け止めようとしたが――。

 

 ――ちゃぽん。


 ……そんな風に明らかな水音を立てて、いつの間にやらそこにいたフィンそっくりの水の分身が、小さな望子の身体を優しく支えているではないか。


「……危なかった。 急にどうしちゃったんだろうね」

「どうしたはお前だよ! そんな事出来たのか!?」


 青く光る片手を望子の方へ伸ばしてホッと安堵の息を漏らしていたフィンに対し、ウルが声を荒げると、

「え……あれ? そういえばそうだね。 ボク今までこんなん出来てたっけ?」

「は、はぁ……!?」

 どうやら自分でも分かっていないらしく、ウルは何言ってんだこいつとばかりの視線を向けた。


(もしかして、さっきの光が影響して……?)


 その時ハピだけは、少し冷静になって先程ぬいぐるみの身体を包んでいた金色の光を思い浮かべつつそう考えていたが、そんな彼女たちをよそに――。


「ぇへへ……」


 既に元へ戻っているらしい望子は、ひんやりとして柔らかい……水の分身に顔をうずめて幸せそうに笑みを浮かべながら、無意識のうちに抱きついていた。

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