第23話 《それ》の力
「「は……?」」
驚愕と困惑がこもりにこもったウルとラスガルドのそんな声が、静寂に包まれた王の間に響く。
それも無理はない、本来ここにいる筈の無い望子がまるで瞬間移動の様にウルたちの間に現れ、あろう事かその細腕でラスガルドが振り下ろした強靭な腕の一撃を……片手で掴んで止めてしまったのだから。
ウルがそれ以上言葉も発せず呆然と立ち尽くす中、ラスガルドは腕を掴まれたまま望子を見遣って、
(これが、勇者か? 確かに魔王様がお気に召しそうだ)
本当に召喚勇者なのであればこれくらいはやってのけるだろう、と案外冷静にそんな事を考えていた。
一方、命が繋がった事への安堵で身体が崩れ落ち、されど何とか膝立ちの状態で意地を見せたウルが、
「ミ、コ……? お前、ミコだよな……?」
息も絶え絶えになりながら、どこからどう見ても望子である筈の何かに尋ねると、《それ》はラスガルドの腕を掴んだままクルッと半身を
《やぁ
この状況に全く似つかわしくない……何より望子らしくも無い爽やかな笑みを浮かべてそう応える。
無論、ウルも《それ》の笑顔を見て明らかな違和感に気づき、カッと目を見開いてから、
「……っ!? お前ミコじゃねぇな!? 誰だ! ミコをどこへやった!!」
《それ》を隔てた向こう側に、魔王軍幹部がいる事も忘れて声を大にして叫び放った。
だが《それ》は、そんな彼女の威圧など何処吹く風といった様に全く表情を崩さぬままに、
《その物言いは酷いなぁ、折角助けてあげたのに》
あくまでも淡々と言葉を紡ぎ、緊張感とは無縁の様子でヘラヘラと笑う。
ウルはそんな嘲る様な《それ》の態度に更に苛立ちを増し、身体中の痛みを押してまで、
「……っ、あたしは……助けてなんて言ってねぇ! いいからさっさとミコを――」
返しやがれ、よろよろと極めて緩慢な動きで立ち上がって、そう怒鳴りつけようとした。
《確かにね。 でもそうもいかないんだ。 君たちが一人でも欠ければ……この子は哀しむよ。 君たちにとってこの子が大切な存在である様に、この子にとっても君たちは無くてはならないものなんだから》
「!!」
だが、何故か途端に真面目な表情へと変化した《それ》が諭す様に告げた事で、ウルは言葉に詰まる。
……正論に、聞こえてしまったから。
「……ふむ。 事情はよく分からんが、お前はミコとやらでは無いのだな?」
その時、そこへ割って入る様に未だ腕を止められたままのラスガルドが《それ》に話しかける。
二人が会話している間にも、彼は《それ》を叩き潰そうと……或いは一旦腕を引っ込めようとしたが、まるで互いの腕が元々一つの存在であったかの様に、一切動かす事が出来ていなかった。
その事実に、多少なら苦々しい表情を見せていたラスガルドに対して向き直った《それ》は、
《うーん、そうだね。 望子ではないよ。 じゃあ何なのかってのは……君には言えないな》
途中までは笑顔だったが、一拍置いてからはストンと表情が抜け落ちて声のトーンも一段と暗くなった様に感じ、掴まれた腕からはギシギシと鈍い音が鳴る。
「要領を得んな……だが、お前が私の一撃を腕一本で止めたのは事実。 間違いなくお前は勇者だ。 そうでなければ、その溢れんばかりの魔力の説明がつかん」
そう語るラスガルドの妖しく光る薄紫色の瞳には、《それ》を中心にめらめらと立ち昇る炎の様な、あまりにも神々しい純白の魔力が映っていた。
(そうだ、勇者でなければありえない……だが、今この少女の中には勇者ミコ以外の何かがいる……魔王様に報告すべきか? それとも今ここで……)
始末すべきか……魔王の
《ねぇ、この辺で手打ちにしない? 君も随分深手を負っているし、あの子たちも放っておくとまずい。 大人しく帰ってくれるならこっちからは何もしないよ?》
パッと掴んでいた腕を放し、再び爽やかな笑みを浮かべつつウルたちを横目で見ながらそう提案する。
「……ふむ」
一方のラスガルドはその提案を飲むか、或いは蹴るのか……顎に手を当て思案を始め、
(……確かに、この得体の知れない何かと一戦交える事に意義があるかどうか……魔王様の
無論何らかの処罰は下るだろうが、それでも目の前で笑う《それ》のアンバランスさに……ハッキリ言って彼は、ほんの少しの畏怖を感じていた。
そして自分の中で結論を出したラスガルドは顎から手を離しつつ、ふぅ、と深く息をついて、
「……よかろう、ここは引かせてもらう」
お前に負けた訳では無いがな、とそんな声が聞こえてきそうな程に不満げな低い声音で告げたものの、
「ラスガルド様!? 何を仰いますか! 魔王様の
瞬間、控えていたマルキアが、信じられないといった表情と口調で上司に進言し始める。
「……マルキア、これは私の決定だ。 上級とはいえ、お前が意見していい事では――」
そんな彼女に対し、先程とは違う呆れの感情と共に溜息をついたラスガルドが諭そうとした。
だが彼女としても一切譲るつもりは無いのか、ラスガルドの傍までヒールを鳴らして詰め寄り、
「いいえ! 確かにその勇者は不気味ですし、これを魔王様に伝える必要もあるでしょう! ですがそれは全てが終わってからで良い筈です! 貴方程のお方が、この様な者ども相手に撤退を選択されるなど……っ!!」
そう言ってマルキアは、バキバキと腕を鳴らしながら
「あってはならないのですっ!!」
声を大にして叫びラスガルドが止める間も無く、翼を広げて《それ》に突っ込んでいく。
……ウルの最高速度を遥かに上回る猛加速で。
「っ、ミコ! 危ねぇっ!!」
そんな突然の事態に驚いたウルは、思わず望子の名を呼んで警告したが《それ》はちらっとウルを見て、
《――――――》
その小さな口をパクパクと動かし、不安がらせない様にかニコッと笑っており、
(……だい、じょうぶ?)
ウルがその口の動きを読み取る頃には既に、《それ》の目の前までマルキアが迫っていた。
《それ》はゆるりとした緩慢な動きで小さな右手をかざし、マルキアの硬質化した薄紫色の爪と《それ》の小さな白い爪が、カッ、と音を立てぶつかる。
……質量でいえば、圧倒的に前者が勝るだろう。
だが衝突時、《それ》がマルキアの爪に触れた中指をくんっと下へ向けたその瞬間、彼女は勢いのままに床へ思い切り叩きつけられてしまう。
「っが、はぁっ!?」
吸った空気を全て吐き出さんばかりの苦痛な叫びを上げたマルキアの頭に、《それ》が手をぽんと置き、
《仕掛けてきたのはそっち……悪く思わないでね》
ほんの一瞬申し訳無さそうな表情をした後、少しずつその手に神々しい白い光が集まり始める。
《邪悪、
「!? まさかっ!」
それが詠唱だと気づいたラスガルドは、残った片腕を伸ばし《それ》を止めんとしたが……もう、遅い。
《
「ぇ」
《それ》が力を行使した瞬間、マルキアの身体は純白の光に包まれ、ろくに言葉も残せないままに彼女は光の粒子となって、この世界から……消失した。
「……マル、キア」
「お、ねえちゃん? ……お姉ちゃん!! どこ!? どこに行ったの!? ねぇ出てきてよ!!」
ラスガルドは《それ》の力を止められなかった事への後悔からか血が滲む程に拳を握りしめ、一方マルキアと同じく控えていた妹のシルキアは、姉が突如光の中に姿を消してしまった事に驚きを隠せず動揺する。
《いやぁ、上手くいってよかった……ま、今日二度目なんだけどね、これ》
「こ、の……っ! ふざけないで! お姉ちゃんを返して! 返してよ!!」
癇癪を起こして叫ぶシルキアの手には、既に膨大な質量の闇の魔力が溜まりつつある。
「っ、待てシルキア! お前では――」
それを見たラスガルドが、無謀だとシルキアを止めようとするもその声はもう彼女には届かず、
「死んじゃえ!!
そう叫ぶと同時に、彼女がかざした両手から
無論、
……《それ》が本当に少女であるならば、だが。
《忠告はしたからね……? 返すよ ――『
《それ》に向けて放たれたはずの彼女の一撃が、威力を保ったままシルキアの元へ跳ね返ってくる。
……奇しくも、《それ》の言葉通りに。
「ぇ……?」
目の前まで迫る自身が放った筈の
「シルキア……っ、ぐっ!」
ラスガルドはその一撃を自らの身体で受けようとしたものの、ここにきてフィンからのダメージが身体を蝕み彼の動きを妨げてしまう。
「……おねえ、ちゃん、らすがるど、さま……」
最期の瞬間、シルキアは最愛の姉と敬愛する主人の名を呼び、自らの強大な魔術を受け……消滅した。
「……シルキアァアアアア!!」
ラスガルドは、これまで見せていた冷静さとは程遠い、悲痛な咆哮を叫び放つ。
彼にとって二人は、他種族との戦争の時から自分に仕えてくれていた掛け替えの無い配下だったからだ。
《……詠唱無しだとそのまま返すだけ、か。 倍くらいにはなると思ったんだけどな》
そんなラスガルドを尻目に、呑気な様子で自分の力の分析を始める『それ』を見ていたウルは、
「すっ、げぇ……」
思わず感嘆の声を上げてしまっていたものの、次の瞬間には怪訝な表情になっており、
(凄ぇ、凄ぇけど……明らかにミコじゃねぇ。 こいつは一体誰なんだ……?)
そう考えたウルは、もう
「……強き者よ。 私の願いを聞いてくれ」
そこへ、再び底冷えする様な低い声に戻ったラスガルドが《それ》に話しかけてきた事で、
《……ん? 何かな?》
ハッと我に返りつつも、然程興味も無さそうに彼の方を向き無表情で返事をする。
「……私と、死合って欲しい。 考えずとも分かる。 お前は私より強いのだろう。 だがそんな事はもう関係無い。 今の私がしてやれる事、それは戦う事だけだ」
極めて冷静にそう応えるラスガルドの薄紫色の瞳には、後悔、悲憤、そして決意……様々な感情が宿り、
《……素直に君の言う事を聞いておけばよかったのにね、あの二人。 まぁいいや、相手してあげるよ》
その一方で、ふぅ、と軽く息を吐いた《それ》はそう言って、彼の無謀な宣戦布告を受け入れた。
「感謝する、名も知らぬ強者よ……魔王軍幹部が一人、ラスガルド、参る……っ! うぉおおおおっ!!」
その口上を皮切りに、彼は最早魔術もろくに扱えぬ満身創痍の身体で腕を振り上げ特攻し、
「……っ!」
そのあまりの気迫に、それまで何とか立っていたウルは思わずがくっと膝をついてしまう。
――だが、《それ》は。
《ふふっ、消すには惜しいね……折角だし取っておこうか――『
そう呟き小さな手を前にかざすと、その手の中心に白く渦巻く強大な引力が発生する。
「な!? っぐ、おぉ……!? この、魔術は……!」
ラスガルドは目の前の《それ》が放つ白い引力を魔術だと判断し、一体自分とどれ程の力量差があるのかと脳内では案外冷静に分析していたが、
《……魔術? あぁ、そんなものもあったね。 これは魔術じゃないよ。 敢えて言うなら……『魔法』かな》
「ま、魔法……っ!? 貴様……まさかあの時の――」
《それ》が彼の言葉をゆっくり首を横に振る事で否定してみせながら、自身の力を魔術では無く魔法だと語った瞬間、その単語に、そして使い手にも覚えがあった彼は目を見開き、何かを口にしようと――。
――したのだが。
「――く、おぉぉ……! 偉大なる魔王コアノル様に、栄光あれ……っ!! ぐぁああああ……!!」
フィンによる肉体へのダメージと、配下の二人を失った事による精神的ダメージを強く受けていたラスガルドは、多少の抵抗を見せたものの最終的にはその小さな掌に収まる様に吸い込まれていった。
「……勝った、のか……?」
二人の攻防を見ていたウルがそう呟くと、『それ』がニコッとウルの方を見て笑い、
《うん、終わったよ。 君たちの勝利だ》
そんな風にあっけらかんと応えた事で、ウルは気が抜けてしまうと同時に腰も抜かして座り込み、
「そ、そう、か……なぁ、結局お前は誰なんだ?」
おずおずと《それ》に尋ねると、ん? と首をかしげて腕を組み、しばらく思案していた《それ》が――。
《んー、そうだなぁ……君たちが元の世界に帰れる様になったら、教えてあげようかな》
……望子と同じ、愛らしい笑顔でそう言った。
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