第22話 人魚の賭け

 丁度レプターと魔合獣キメラが屯所にて対峙していた頃、漸く玉座から立ち上がったラスガルドが、

「……さて、私から手を出したのではすぐに終わってしまう。 それでは何の面白みも無いのでな。 まずはお前たちから好きに攻めてくるといい」

 亜人ぬいぐるみたちに対してあくまでも余裕な態度を貫き、まるで挑発するかの如くそう言った。


 一方、そんな彼の挑発を受けて真っ先にカチンときていたウルが、ビキッと青筋を立てながら、

「はっ、わざわざてめぇに言われなくてもよぉ……遠慮なくやってやらぁ!」

「あっ、ウル! 少し慎重に……もぅ! あのは!」

 助走も無しに最高速度で駆け出したウルを止めきれず、仕方無く自分も参戦しようとしたハピに、

「……ねぇ、ちょっといい?」

 唯一その場から動こうとしていないフィンが、静かな……されど確かに響く声音で話しかけてくる。


「っ、何よ! 今それどころじゃ……っ!?」


 無いでしょう、とフィンに苦言を呈そうとしたハピは、振り返った途端……思わず目を見開いた。


「……ぁ、貴女、それ何?」


 そう呟いて視線を向けたハピの視界には、フィンの両手の中心に、これまで彼女が扱っていたものとは全く異なる黒く澱んだ球状の水が浮かんでいたからだ。


 自ら声をかけ、そして今ハピに尋ねられているにも関わらず、フィンはその黒い水から目を離さぬまま、

「……ボクたちさ、ここに来るまでそこそこ魔族を倒したじゃん? ボクがどうやって倒してたか見てた?」

 何故か、王都中に羽虫の如く湧いていた下級や中級の魔族たちを相手取った時の事を振り返らんとする。


「どうやって、って……確か、身体中の水分を奪って干からび、させ……貴女、それもしかして」


 彼女が何を言いたいのか分からなかったが、取り敢えず言われた通りに思い返そうとしたその瞬間、ハピは黒い水を見て一つの可能性に辿り着いてしまい、

「うん、魔族の血とか色々」

「……っ」

 ハピが考えたくも無いその事実をさも何でもないかの様に言ってのけるフィンに、彼女はクラッとする。


 彼女たちが倒した魔族は、ラスガルドが率いていた中級下級部隊クロウラーのおよそ半数……では無く、六十六名中、六十名……ほぼ全員である。

 自分たちの攻撃を全く意に介さない亜人ぬいぐるみを脅威に感じ、他の冒険者や傭兵たちと戦闘していた魔族たちがこぞって彼女たちを襲い、返り討ちにあったからだ。


(この一体何を……いやそれよりも)


 一方、首を横に振って気を取り直し、フィンがせっせと回収した六十人分の体液で構成されているのだろう水玉を、心底嫌悪感を示しつつ見遣ってから、

「で? 貴女それどうするの? あの幹部とやらにぶつけでもするつもり? そんなの通用する訳が――」

 こんな無益な会話をしている間にもウルはラスガルドと戦闘している……最も、ラスガルドにとっては戦闘にすらなっていないのかもしれないし、さっさと話を切り上げる為にそう告げようとしたのだが――。


「うぅん、飲んでみようと思って」


「……は?」


 何の気無しにフィンが口にしたその言葉に、ハピは彼女を信じられないといった顔で見て、

「……いや、いやいやいや! 気は確かなの!? 魔族の血とかその他諸々よ!? そんなの飲んだら――」

 細く白い肩をガクガクと揺らし、それでも手から離そうとしない黒い水玉を睨んでそう言おうとした。


 しかしフィンは、全て分かっていると言わんばかりに、うん、と頷き力無い笑みを浮かべて、

「きっと普通じゃなくなるよね。 でもさ、普通じゃあれには勝てないよ。 ハピもそう思うでしょ?」

「っ、それ、はっ」

 全く揺らぐ事の無い、真っ直ぐな青い瞳でそう告げられたものの、そんな事は言われなくても充分に理解していたハピは、思わず言葉に詰まってしまう。


 二の句を継げなくなってしまったハピに対し、何かを悟っているのか眉をしゅんと垂らさせて、

「そりゃボクたちが倒したのはあんまり強くなかったけどさ、あれでも一応魔族なんだし、これ飲んだら強くなれそうじゃない? 少なくとも今よりはさ」

 やたらとあっさり倒せてしまった魔族たちを振り返りつつも、黒い水玉を浮かべた片手を顔の辺りまで上げて、フィンは再び力無く笑っていた。


「……それで、仮に倒せても」

「どうなるかは分からないよね。 だからさ」


 その時、ハピが今最も懸念していた事を彼女に問いかけようとしたがその言葉はフィンに遮られ――。


「ボクがおかしくなったら、ボクを殺してくれる?」

「……っ!」


 ボクの犠牲でみこを守れるのなら、そんな声が聞こえてきそうな程の覚悟を秘めたフィンの声に、ここまでの話が全て冗談でも何でも無い事を悟らされる。


「……っ、おいお前らぁ! そろそろ手伝えってぇ!」


 そんな折、ラスガルドとの戦闘の真っ最中なウルの切羽詰まった声が二人の耳にも届き、

(……あの一人にこれ以上は……でも、今ここで止めないとこのは……っ!)

 ハピはこの局面で、全く予期していなかった苦渋の選択を……強いられてしまっていたのだった。


 結局、時間にしてみればほんの数秒だったが、それでも自分なりに悩みに悩み抜いた末にハピは、

「……っ、あぁもぅ! 分かったわよ! 好きになさいな! 貴女がおかしくなっても私が止めてあげるわ!」

 殺すかどうかはその時になったら決める、とそこだけは譲らずに、フィンに向けて強く宣言する。


「……うん、ありがとね。 じゃあ少しだけ、二人でお願い。 ちょっと、時間かかるかもだから……」


 ハピの言葉を嬉しく思い、ニコッと笑ってそう言ってフィンは、いつの間にかビー玉程のサイズまで圧縮していた黒い水を口に含み……飲み込んだ。


 それを見届けたハピはきびすを返し、栗色の翼を広げてほぼ無音でウルの元へと飛んでいき、

「っ、遅ぇぞハピ……っておい! フィンは!? あいつあんなとこで何やってんだ……!」

 漸く参戦したハピをどやそうとしたウルは、何故かしゃがみ込んだまま動いていないフィンに疑問をいだき、先にそちらへ苦言を呈そうとする。


「……あの子は……あれでいいのよ。 今、大技を撃つ準備をしてるみたいだから……」


 だが、何やら随分と気落ちした……しかしそれでいて強い使命感を持っている様な、ちぐはぐな表情を湛えたハピがそう応えてみせた事により、

「そう、なのか? なら、あたしらで時間稼ぐぞ!」

 少しの違和感を覚えつつもウルが改めて爪を構えて声をかけ、ハピはそんな彼女に無言で頷き、ラスガルドとの二対一の戦闘に身を投じていった。


「……っ、ぐぅぅ……っ、ぅ、あぁぁ……!」


 一方、魔族の体液などという……他の生物にとっての劇毒をその身に取り込んだフィンは、最早まともに言葉も発せなくなる程に苦しんでおり、

(い、いたい、くる、しい……)

 そんな負の感情ばかりが頭に浮かび、彼女の視界は段々、段々と暗くなっていく。


 ……だがそれでも、フィンは決して意識を手放そうとはせず、自らを襲う苦痛に抗い続ける。


 ――魔族を倒す、二人を助ける、そして何より。


「み、こ……!」


 そう、他でも無い……望子を、守る為に。


 瞬間、取り込んだ魔族の力とフィンの青い魔力が彼女の中で完全に融合し……ゆっくりと起き上がったフィンの双眸には、鈍く、昏い光が宿っていた。


 ……まるで魔族の様な、薄紫色の光が。


 一方、ウルたちは時間稼ぎと言いつつも、可能ならば倒すという意気込みでラスガルドに挑んでおり、

「うっらぁああああっ!!」

「……こ、のっ!」

 ハピは右上段、ウルは左下段から、それぞれ脚と腕の強靭な爪に赤と緑の魔力を纏わせ攻めかかる。


 だが、ラスガルドは表情どころか姿勢すらも一切崩さず、薄紫色の双眸を細めながら、

「……『闇爆反応ダクリアクト』」

 小さくそう呟くと同時に彼の足元に薄紫の魔法陣が出現し、彼の身を薄皮一枚覆う様な薄紫色の結界が張られ、それに彼女たちの爪が触れた瞬間――。


「ぐ!? あ"あぁぁぁ!!」

「いっ!? きゃああああっ!!」


 それぞれの爪が触れた部分が強く輝き、瞬間的に強力な魔力の爆発を引き起こした事により、二人は床を転がる様にして吹き飛んでしまった。


「……っが、はぁっ……! な、にが……!?」


 息も絶え絶えとなりながら、戦況を把握すべく声を出したウルに対して答えを告げる様に、

闇爆反応ダクリアクト……自らの身体を覆う薄い結界を張り、生物非生物問わず……その結界に触れたが最後、結界の外側にのみ魔力の奔流を発生させる闇の上級魔術だ」

 ラスガルドが懇切丁寧に……それでいて随分と退屈そうに解説してのけた。


「な、んだ、そりゃ……! おいハピ、お前は……!」


 そう言ってウルはハピに目を向けたが、彼女は既に意識を失っており……ラスガルドの結界による爆発に巻き込まれた左脚は、あわや千切れかけていた。


「……さて、もういいだろう……は。 そろそろ見せてもらおうか、人魚マーメイドよ」

「っ! そうだ! フィン、まだお前が……あ?」


 まるでフィンの台頭を待っていたかの様なラスガルドの言葉に反応し、そちらへバッと視線を向けたウルは……思わず自分の目を疑った。


「……お、お前……フィン、か?」


 それも無理はないだろう、そこにいたのは魔族の力を取り込み、ゆらりと宙に浮かぶ人魚マーメイド


 彼女が乗っていた水玉は黒く澱んでしまい、透き通る様な白い肌も、完全に褐色になってしまっていた。


 そんなフィンの変化の一切を見逃していなかったラスガルドは、くくく、と心底愉しげに喉を鳴らして、

「……ふ、くくっ、ふはははは! 素晴らしい! 我々魔族の力をあれだけ取り込み、未だ形を保っていられるなど……一体どれ程素体が優秀だったのか! 人魚マーメイドよ! 最早お前は魔族と呼んで差し支えない!」

 次第にその笑みは高笑いへと変わり、極めて上機嫌な様子ですっかり変わってしまった彼女を見遣る。


「フィンが、魔族だ……!? 訳分かんねえ事言ってんじゃねぇぞ! おいフィン! 聞こえてねぇのか!?」


 ウルが必死にそう叫ぶが、フィンは一切の反応を示さず……ただ一点だけを見つめていた。


 ……倒すべき相手、ラスガルドを。


『――――――』


 するとフィンは、小さく小さく何かを呟きながらすっかり褐色となった両手をゆっくりと前にかざし、

「意識もまともに無い状態でさえ、あくまで私を倒さんとするか! その気概、認めよう! さぁ来い!」

 当のラスガルドは虚ろな瞳のフィンに対して、どこまでも余裕を崩さず……されど最低限の警戒はしているのか、ここで初めて臨戦態勢を取ってみせる。


 その時、フィンがかざした両手の前に少しずつ黒い水流が出現して、それが何かの形をなしていき、

「ほぅ、これは……!」

 ラスガルドは興味深そうに唸って、それの発動に備えて構えつつも食い入る様に見遣っていた。


 ……それは、刃物以上に鋭い牙を有した大きな口をけ、太古の地球の海を悠然と泳いでいたのだろう巨大な海棲生物……海竜モササウルスの様なもの。


(何、あれ……あんなの、私には……!)


 その一方で、明らかにフィンの異常さを感じ取ったシルキアがそう考えつつラスガルドの前に立ち、

「ラスガルド様! ここは私が――」

 どっからどう見ても変ですよ! と叫び、自身の上司を庇おうとしたのだが、そんな彼女の言葉と行動は、

「邪魔をするな。 引っ込んでいろシルキア」

 そう告げるラスガルドに遮られてしまい、めいに従わぬ訳にもいかず、すごすごと引き下がった。


 ……そして、海竜モササウルスの口から何かが撃ち出されんとしていた時、フィンの呟きが少しずつ辺りに響く。


『……まぞくを、たおす……うるも、はぴも、たすける……みこを、まもる……!』


『『闇禍水流ダク・リュウ』!!』


 胡乱な瞳を湛えてそう叫んだ瞬間、魔合獣キメラ光線レイなど比較にならない程の絶大な威力を誇る、青と黒、そして少しの紫色も混ざった水流が放出される。


「素晴らしいぞ人魚マーメイド! いや、フィンよ! 私も全力で迎え撃とう! 『闇如翼劔ダクウィンガル』!!」


 その叫びと共に、ラスガルドの荘厳な両翼が右腕に這う様に巻きつき……巨大な諸刃の剣と化す。


「……う、おぉおおおおっ!!」

『――――――!!』


 ラスガルドは、放出された水流を真っ二つにするべく横薙ぎに漆黒の斬撃を放つものの、どちらの勢いも凄まじく押しも押されもせぬ鍔迫り合いが発生する。


(フィン……! 頼む……頑張ってくれ……!)


 完全に蚊帳の外となっていたウルがそう願うも……彼女の願いは、届かない。


「……っぐ! ぜぇええええいっ!!」


 そう叫んだラスガルドの渾身の斬撃によって水流は消し飛ばされ、全ての力を使い切ったのだろう、フィンはプツンと糸が切れたかの様に倒れ伏した。


「……おい? フィン! フィン!! 生きてるよな!? 死んでねぇよな!? くそっ、返事してくれ!!」

「……」


 悲痛に叫ぶウルの声にもフィンは全く反応せず、彼女もハピと同じく……その意識を手放していた。


 とはいえ何も、フィンの一方的な完全敗北という訳では無かったらしく、ラスガルドは一瞬よろめき、

「……っ、ここまで、だな。 まさかこの私が、これ程の手傷を負うとは……見事だ、フィンよ」

 そう呟きいてフィンを心から称賛した彼の右腕は、巻きついていた翼ごと完全に消滅している。


「ラ、ラスガルド様! シルキア、処置を――」

「いらん。 これは名誉の負傷。 あの人魚マーメイドの……いや、フィンの手柄だ。 しばらく残しておく」

「そ、そう申されましても……!」


 そんな会話を魔族たちがしている間に、一人意識があったウルは満身創痍の身体で立ち上がり、

「……おい、まだあたしがいるぞ。 終わった気で、いるんじゃねぇよ……!」

 ぜーはー、と今にも倒れそうに息を切らして、何処で知ったのか中指を立てて挑発した。


 一方、ラスガルドはそんな彼女を極めてつまらなさそうな表情で見遣ってから溜息をつき、

「……そう急くな。 どのみち勇者以外は鏖殺せよとのめいだ。 せめて苦しまぬように終わらせてやる」

 静かな声音でそう呟いて、決して万全とは言えないまでも、満身創痍のウル一人消すには充分すぎる一撃を見舞う為、残った左腕を振り上げる。


(……ごめんな、ミコ。 あたしはここまでだ)


 そんなウルの脳裏には、どこまでも愛らしく、優しい笑顔の望子の姿が浮かんで――。



《はい、そこまで》

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