第20話 対峙するぬいぐるみ
玉座から腰すらも上げようとしないラスガルドとは対照的に、神妙な面持ちで対峙する魔族姉妹と
ラスガルドの底知れぬ力に脅威を感じていたウルとハピの顔をすぅっと伝う様に一雫の汗が流れる一方、何故かシルキアとフィンだけは、お互いにすら分からない何らかの違和感を覚えて疑問符を浮かべていた。
冷や汗が王の間の床に滴り落ちた瞬間、右腕に赤く光る巨大な爪を展開したウルが、
(あいつを倒しゃあ終わる……先手必勝だ!)
強靭な足腰からなる圧倒的な跳躍で魔族姉妹を飛び越し、ラスガルドへその爪を振り下ろす。
だがその爪は、いつの間にか身体能力だけでウルとラスガルドの間に割って入っていたマルキアの、
「『
そんな小さな呟きと共に極端に硬質化した右腕に止められてしまい、ウルは強めに舌を打ってから、
「っ! 邪魔すんじゃねぇ!」
反射的に飛び退いてそう叫ぶと、どうやらマルキアは彼女以上に憤慨しているらしく、
「……黙りなさいな。 本来貴女の様な駄犬が近づいていいお方ではないのよ」
静かな……しかし確かに怒りを感じるその声で、わざわざ煽る様な発言をしてみせた。
一方、その挑発を見事なまでに受けてしまったウルは、はぁ!? と声を荒げて、
「だ、誰が犬だ! あたしは狼だっての!」
「……駄の部分は否定しないのね」
そんな的外れな返答をした事でハピも思わずつっこんでしまい、気の抜ける様な会話が繰り広げられる。
そんな二人をよそに、既に硬質化を解いていた自身の右腕をさすっていたマルキアは、
(……ここまでの衝撃なんて何十年ぶりかしら)
決して口にはしないが、ウルの爪を受けた彼女の腕に衝撃が強い痺れとして残っていた事で、彼女の実力を内心認めていたのだった。
(考え無しにも見えるけど、油断は禁物ね)
マルキアがそう考えつつ、広げた蝙蝠の様な翼をバキバキと鳴らしながらウルに対抗するが如く爪の様に変化させ、腕と同じく硬質化させる。
目の前の面倒な
「――あぁっ! そうだ! 思い出した!」
「「!?」」
完全に臨戦態勢にあったマルキアや
「お姉ちゃん、ラスガルド様! 思い出したのっ!」
「シルキア! 今はそれどころじゃないでしょう!」
緊迫した戦いの場で起こる、姉妹なのだろう魔族たちの喧嘩にぽかんとしてしまう
「……シルキア、話してみろ。 重要な事かもしれん」
玉座に片肘をつき、まるで本物の王の様な雰囲気を纏わせながらシルキアに発言の許可を出す。
上司から許しを貰った彼女は、へへーん! と実の姉を煽ってからラスガルドに向き直り、
「はいっ! 実はですね、デクストラ様から一つ報告が来ていたんです! わたしすっかり忘れてました!」
「……ほぅ?」
「あ、貴女ねぇ! 何度も言っているでしょう!? 報告、連絡、相談は確実にと……!」
(報・連・相って
(……どうでもいいわ)
戦場で堂々と報告の内容まで話さんとし、再び姉妹喧嘩を始めようとする魔族たちとは対照的に、ウルとハピはこそこそとそんな無益な呟き合いをしていた。
そんな二人とは違いそれまで黙りこくっていたフィンは、あぁそういう事かぁと何かを一人で納得しており、とても満足げに頷いている。
聖女との会話の時からそうだったが、フィンは
その性質により彼女はシルキアの小さな唸り声や、この局面において全く別の何かを考えているかの如くちぐはぐな心音に、もやっと疑問を
(何を忘れてるかを忘れてた訳ね。 あーすっきりした)
フィンは人知れず、シルキアと同じく憑き物が落ちた様に笑顔でうんうんと頷いていた。
「はぁ……それで、どんな報告だったの?」
妹の天然ぶりに心から呆れ、深く溜息をついたマルキアが彼女にそう尋ねると、
「うん! えっとね、喚び出された勇者は可愛い女の子で、魔王様がその子の事を気に入っちゃったから、まだここにいるなら捕まえておいてくれ、って!」
シルキアが満面の笑みを浮かべたまま、双方にとって聞き捨てならない事実を口にした事で――。
「「……はぁ?」」
――二つの声が重なる。
一つは、また魔王様の我儘かと呆れるマルキアの声であり、もう一つは、明らかに望子の事を言っていると思い反射的に漏れてしまった……フィンの声。
「んん……?」
瞬間、シルキアの報告に反応したフィンへラスガルドが興味を
「っ、おいフィン!」
「っあ、ご、ごめ」
お前がバラしてどうする、とばかりにウルの叱責を受けたフィンは自分の失態を自覚する。
だが時既に遅く、ラスガルドは半ば確信した様子でフィンたちを見遣ってから、
「……お前たちは、その勇者とやらを知っているのだな? 魔王様の側近たるデクストラからの指示は、魔王様の指示も同様。 可及的速やかに済ませておきたいのだが……何処にいるのか、教えてくれるな?」
昏い笑みを浮かべ、闇の力を利用し対象の良心に訴えかける闇の魔術の一つ、『
(ラスガルド様の
聖人ですら口を割る、とまで云われた上司の魔術に畏敬の念を向けていたマルキアはそんな事を考えながら、沈黙を貫いている
――だが、彼女の予想に反して。
「……はっ、教えて欲しけりゃ平伏して頼んでみろよ。 やったところで教えるたぁ限らねぇがな」
「まぁそれが嫌なら……私たちを倒してごらんなさいな。 そう簡単にはいかないでしょうけどね」
「そーだそーだ! みこはボクたちのだもん! 魔王なんかに渡すもんか!」
口を割るどころか益々強気になる
しかし、そんな彼女とは対照的に、ラスガルドはまるで計画通りとばかりにニヤリと笑みを見せて、
「ほぅ、勇者の名はミコというのか。 これはいい事を聞いた……シルキアよ、名が分かれば充分だな? 」
随分とわざとらしく嘲るかの様にそう口にした事により、シルキアが待ってましたとニコッと笑い、
「はぁい! お任せください! せーのっ」
小さな両手を上に掲げて、その両の手の中心に黒と紫の入り混じった魔力を集中させて――。
「『
そう言い放ったシルキアの両手の間に、ぐるぐると渦巻いて流動する黒い球体が出現し、
「さぁ、ミコって子を探して来てね!」
そんな彼女の言葉に反応する様に球体が一瞬圧縮したかと思えば、すぐに倍以上の大きさに膨張し、そこから次々と一見可愛らしくもある黒い犬が現れる。
「勇者なら魔力の絶対量も相当だと思いますし、あの子たちならすぐに見つけちゃいますよ!」
どうですかどうですか、と上司に褒めて欲しそうに嬉々として語るシルキアに対して、
「……それがミコだとは限らねぇだろ」
僅かながらの抵抗とばかりに、さも皮肉の様に呟いたウルだったが当のシルキアは笑顔を崩さず、
「ん? 大丈夫だよ! もし見つけたらね、この子たちは意思を持った一つの
まるで仲間に話しかける様な口ぶりで、悔しげに歯噛みするウルに向けてそう口にした。
その犬たちは、ミコ、ミコ、ユウシャ、と呟きながら
「くそっ、止めろ!」
「分かってるわよ! ちょっと黙ってなさいな!」
「もー! 多いよー!」
だがその時、静観していたマルキアが、先程の様にバキバキと翼を鳴らしながら
「それくらいにしてくれる? 私たちにも優先順位というものがあるの。 貴女たちは……二の次なのよっ!」
そう叫んで、先程はシルキアのせいで食らわせられなかった硬質化した翼での一撃を三人へ放った。
「ぐ!? あぁっ!」
「きゃあっ!」
「いっ……たぁい!」
それぞれが大きなダメージを受け、ウルが床を転がりつつも態勢を整え、ハピとフィンが空中で何とか踏みとどまる中、その瞬間を狙っていたかの様に、犬たちが次々と王の間から出ていってしまう。
「っあ、この……っ!」
そんな犬たちに真っ先に反応したウルが、それらを追って外へ出ようとしたその時---。
『動くな』
「「「……!?」」」
(な、んだ、これ、あし、が)
静かに告げられたラスガルドの言葉に、ウルだけで無くハピやフィンも動けなくなってしまい、そんな彼女たちへラスガルドはもう一度口を
『自由にせよ』
そう告げた瞬間、彼女たちは言葉通りに自由の身となり一様にラスガルドを睨みつける。
「……今のも、魔術、かしら?」
ふーっ、と自分を落ち着かせる為に息をついたものの、それでも尚少し震えた声でハピが尋ねると、ラスガルドはまるで憐むかの様な表情を浮かべつつ、
「『真に力を持つ者の言葉は、時に武具や魔術をも超える凶暴な力となる』……この世界の格言だ」
さも教師であるかの如き口振りの優しげな声音で言い聞かせるも、三人は全く要領を得ず言葉を失う。
そんな彼女たちの反応を見たラスガルドは随分と愉しげに、くっくっ、と喉を鳴らして、
「つまり、今のは単なる言葉。 それを魔術……或いは技術だと思い込んで身体が硬直したのなら、お前たちはただ純粋に……私に恐怖した、というだけの事だ」
「「「……!」」」
心底愉快そうな表情と口調でそう語った彼の言葉を聞いた三人は、思わず絶句してしまっていた。
……完全に、図星だったからだ。
どれだけ虚勢を張っていても、どれだけ強い力を手に入れても……中身は単なるぬいぐるみに過ぎない。
「だが、お前たちをここで処分するのは惜しい。 マルキアの腕に衝撃を残す
一方で、そう語り出したラスガルドは当然の様にマルキアの腕の痺れとその思考をも見抜いており、手を差し伸べつつ
「……どうだ? 私の下につき、魔王様の為に生きてみないか? そのミコという女勇者も、可愛らしいものを好む魔王様なら悪いようにはしない筈だ」
そんな彼の提案に、
「……決めたぜ」
「ふむ、聞かせてもらおうか」
ウルが代表してそう発言すると、ラスガルドはニヤリと笑って彼女たちに先を促す。
――瞬間。
「うらぁああああっ!」
「……ふっ!」
「てぇええええいっ!」
彼女たちはほぼ同時にそう叫んで、ラスガルドに爪の斬撃で、風の刃で、水の槍で……遠距離攻撃を放つと、ラスガルドはゆっくりと手を前にかざし、
「『
スゥッと笑みを掻き消してからそう呟き、漆黒の門の様な形状の大盾を出現させて、彼女たちの魔術による波状攻撃を完全に防ぎきってみせた。
「……これが、答えか?」
極めて不機嫌そうに低い声で問いかけるラスガルドに、あぁそうだ! とウルが声を荒げて、
「あたしらはミコの幸せを守る為にここにいる!
三人の魔族たちを纏めて威圧する様にギラリと鋭く睨みつけ、歯を剥き出しにして叫び放つ。
「そうか……残念だ」
その言葉と同時にマルキアとシルキアは横に控え、遂にラスガルドが……その重い腰を上げた。
(……レプ、ミコを頼むぜ)
……そう脳内で呟いていたウルと同じ様にハピとフィンの二人も、こんな切迫した状況下でさえただ一心に望子の事だけを案じていたのだった。
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