第7話 真なる恐怖

「へ、へい、か」


 目の前で起きた惨劇に腰を抜かし、しばらく呆けていた宰相ルドマンは、それでも緩慢な動きで近づく。


 ……少し前まで王だったものへ向かって。


「動くな」


 だがそれも、人狼ワーウルフの凄まじいまでの威圧により動きを止めてしまい、

「……ぅ、ぐっ!?」

 まさしく蛇に睨まれた蛙の様に全身が強張り、だらだらと流れる冷や汗も止まらない。


 その様子を見ていた聖女カナタはといえば、既に覚悟を決めていた。


 ――戦う覚悟、ではない。


 ――命を奪われる覚悟を。


(仕方ない、わよね。私は、私たちは……それだけの事をしてしまったんだもの)


 膝をつき、俯いた状態で、王と同じ断罪のときを震える身体で待っていたカナタに、

「ねぇ、少しいいかしら」

 この場には決して似つかわしくとは言えない……甘く、優しい声が降りかかる。


「ぇ……?」


 カナタが顔を上げると、そこには亜人族デミたち、いや人形パペットの一つである鳥人ハーピィが柔らかな笑みを浮かべてカナタを見下ろしていた。


 何、かしら? と、そう答えようとしたカナタは瞬間、パッと口をつぐむ。


 何も、聞き返す事自体が失敗だと考えたわけでは無く……この時彼女の頭をよぎったのは、先程の惨劇。


 死を覚悟してはいても、その身を這い回る恐怖までは克服出来ていないカナタは、

「……なん、でしょうか」

 本能的に目の前の鳥人ハーピィに対して、敬語を使う事を選んでいたのだった。


 そんな彼女の心境には微塵も興味を持っていないのだろう、鳥人ハーピィは表情一つ変えぬまま--。


「貴女があの子をここへ連れて来たの?

「……ぇ?」


 そう告げられた問いかけに、何故、どうして、カナタはそんな疑問の言葉で頭がいっぱいになっていた。


 ミコと呼ばれたあの少女が召喚され、人形パペット亜人族デミへと姿を変えるまで、彼女は一度も『聖女』とは呼ばれておらず、そう名乗ってもいないからだ。


「……どうして、私が聖女、だと?」


 困惑しきって思考が麻痺しかけていた彼女は、思わず鳥人ハーピィへ疑問を投げかける。


 そんなカナタの当然の疑問に対して鳥人ハーピィは、うん? と少しだけ首をかしげてから、

「……あら?そういえばそうね、なんでかしら」

 何故か自分でも把握出来ていない様子を見せる一方で、何となくだけど、と前置きして更に口をひらく。


視た時から貴女が聖女で、あの子を喚んだのも貴女だ、って頭に浮かんだ気がするのよね……」


 手首の先から腕の付け根までが翼となっているその腕を組んでそう呟いた鳥人ハーピィの言葉に、カナタは一つ、心当たりがあった。


(――『鑑定シント』?)


 それは、この世界において成人として扱われる十二歳の時、それなりのお布施をし、教会にて祝福を受ける事で得られる恩恵ギフトという力の一つ。


 その目で見た者の恩恵ギフトや魔術適正、扱える魔術や武技アーツ、そして勿論、職業ジョブも名前も、全てを見通す。


 ……本人がそれを望むか望まないかは別として、半強制的に見通してしまう。


 鑑定シントを授かった者の中には見たくもない、知りたくもない情報に辟易し、者もいるとか。


(曲がりなりにも『勇者召喚サモンブレイヴ』で呼び出された、……恩恵ギフトがあっても不思議じゃない)


 先天的に恩恵ギフトを授かっている事もあるし、と結論付けたカナタに、鳥人ハーピィとは違う方向から声がかかる。


「ねーねー、ボクからも質問いーい?」


 またもこの状況に似つかわしくない、明るく間延びした声で話しかけてきたのは、未だ気を失っている少女を愛おしそうにその腕に抱いたまま、水玉に乗りふよふよと浮かんできた人魚マーメイド


「……ど、どうぞ」


 他の二人に比べれば遥かに温和そうに見えたが、彼女もあの惨劇に加担している以上楽観視は出来ない、カナタはそう考えやはり敬語で対応する。


 すると人魚マーメイドはうんうん、と嬉しそうに頷いてから、えっとね、と口火を切って、

「さっきあの子が聞いてたと思うんだけど」

 何の気無しにそう言いながら、人狼ワーウルフがいる方へ目を遣り、言葉を続けようとする。


 そこでは……ルドマンを除いた臣下たちが、二度とあたしらに構うなよと人狼ワーウルフに恐喝されていたが、そんな事は気にも留めず人魚マーメイドはカナタに向き直り、

「ボクたち、帰れるんだよね? あぁ、限りがあるならみこだけでもいいんだけど……」

 そう尋ねてきた人魚マーメイドの表情は、先程までの明るい笑顔では無く、敵意を超え、果ては殺意まで混じっているかの様な冷たい笑みを浮かべていた。


 その時、カナタはこの三体の人形パペットのあの少女に対する深い想いを悟った。


 そして何より、真なる恐怖とは――。


「……まさか、帰せないなんて、言わないよね?」


 ――決して暴力などでは無い、という事実を。

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