あやかし狐とお坊様

稲生拓海

萌黄はお坊様に会う

 ……腹が減った。

 湧き水をすすりここまできたが、食わずに居るのはさすがにつらい。

 すでに食料は尽きた。

 修行時代を思えば何のことはないが、それでも腹は減る。


 随分遠くに来たものだ。


 丁度、峠を越えた辺りで地蔵を目にした。

 そこには真新しい粟餅と花が添えられている。


 ……有り難い。近くに人が住んでいる。殊更に信心深いときた。

 今晩は供え物を頂き、ここで夜を明かそう。

 明日にはお参りに訪れる人と出くわし、礼を言う事ができるであろう。



 しかし次の日、一向に誰も現れる気配が無い。

 待てども、人の気配すらなかった。

 不可思議な事もあるものだ、

 一体誰がここに供えたというのだろう。


 その次の日も誰も現れなかった。


 私はこの地方に伝わる狐の昔話を思い出す。

 金色の悪戯狐が人々をたぶらかすという話だ。狐は村人に泥団子を食わせた挙句、捕らえられて、こらしめられるという話だ。

 ……もしかして既に化かされているのかも知れない。

 疲れているようだ。我ながら下らない事を考えると思い、一笑に付した。


 次の日、目が覚めると供え物が置かれていた。

 今度は麦の握り飯だ。今日は花の代わりに青竹に入った水があった。

 念のため臭いをかいだが、とくに腐っている様子もない。

 今日もありがたく頂く。


 飯を供えた奴は、おそらく私が寝ている時にこっそりと訪れたのだろう。

 これは、一言お礼を言わねばなるまい。その姿を見るまで起きていよう。


 しかし、それからずっと誰も訪れる気配はなく、勿論供え物も無い。



 こうなれば根競べだ。

 私は意地になって次の日も、その次の日も不眠不休で地蔵の横に陣取った。

 一目、奴の姿を見なければ済まないような気持ちになっていた。


 三日目にして不意に眠りこけ、起きると夕方だった。

 ……地蔵の方を見ると、きっちり供え物が置かれている。

 今日は干し柿が置かれていた。甘いものが食いたいと考えていたので、してやられたと思いながらも、久しぶりの食事を美味しくいただく。


 すれ違いに業を煮やした私は一計を案じる事にした。


 その日の夜更け。今日は満月だ。

 明るい今夜は、地蔵のそばに隠れていても何者が訪れるのか見ることができるであろう。


 辺りには虫の音だけが響いている。

 私は地蔵の背後に潜んで奴を待っていた。


「がさり」


 山道を挟んで向かいの茂みが鳴った。

 まさか熊や山犬が現れたか。


 しばらくして、そこから小さな影が恐る恐る出てくる。

 私は胸をなでおろす。

 それは臆病で小さい。害を及ぼす獣では無さそうだ。


 子供位の小さな影が辺りを見回しながら、慎重に、ゆっくりと山道の地蔵の前まで歩み寄る。

 私と同じく地蔵の供物を狙って出て来たのであろう。

 よほど臆病なのかときどきすんすんと鼻を効かせる音がした。


 それが道の半ばまで来た時、影が満月の光に洗い流される。

 その姿に私は息を飲む。


 ……人の幼子だ。


 夜更けに、こんな場所に一人で居るのは不自然だ。

 人の形をとった妖か、そういった類の霊的な物だろう。


「……あれ?」


 その妖は地蔵の前まで来ると、女子の様な可愛らしい声を上げた。

 昨日の供え物は手つかずのまま。

 首を傾げて困っている様子だ。


 意を決して私は話しかける。


「……私を探しているのかな」


 途端に逃げられた。彼女は後ろの茂みに飛び込んでしまった。


「悪さはしない。出ておいで」


 極力静かな声で呼ぶ。

 私は茂みから出ると地蔵の前にどっかと座った。


 しばらくそのまま待っていると、茂みの向こうに気配を感じるようになった。

 じっと、こちらの様子をうかがっているようだ。

 震える声が茂みの奥から聞こえてきた。



「……つかまえてたべたりしない?」

「……無論だ」


「……かわをはいだりしない?」

「……しない」


「……いたいことしない?」

「……ああ」



 妖の言葉に応えながらじっと腕組みして待っていると、それはおそるおそる出てきた。

 人の姿こそとってはいるが、まだ幼い。

 化けきれていないのだろう。耳や尻尾がまだ獣のままだ。この地方に伝わる狐の言い伝えが脳裏をよぎる。

 月光に金色の毛並みが映える。


「……こんばんは。おぼうさま」

「こんばんは」


 そう言うとその妖はぺこりとお辞儀をした。

 随分と人のやり方をまねる妖だ。私は苦笑しながら一礼する。

 まずは、鎌をかけてみる。


「握り飯ごちそうさま」


 妖は私の言葉に表情をぱぁっと明るくする。

 この地蔵に供物を置いたのはこの妖だったようだ。

一方で、村人に会えると思って居た私は落胆し、また同時に昔話にでてくる狐に会って少々面食らっていた。


「おいしかった? あれね、わたしのおうちからもってきたんだよ? ぬすんだものじゃないからね?」


 聞かれてもいないことを答える。


「この近くに住んでいるのか」


 妖はこくりとうなずいた。私は人里についても尋ねる。


「他の人は?近くに村はないのか?」


 かぶりを振った。人里から離れているらしい。久しぶりに屋根のある場所を借りて眠りたかったが、それも難しいようだ。


「……だれもいないよ。ずっとまえにいなくなっちゃった」

「いなくなった?」

「うん。だけど、いいことをつづければ、ねがいごとがかなって、かえってくるんだよ」

「……だから毎日この地蔵に供物を置いていたのか」

「そう! でも、ここでやすんでいるひとをみかけたら、おいしいものもってくるようにしてるの。ひとをよろこばせることはきっといいことだよね」


 屈託なく笑う妖。金色狐の耳が、尻尾が、髪が夜風に吹かれて輝きながら揺れる。

妖とはいえ、この仔は十年も経てばきっと美しい娘に育った事だろう。

しかし……。


 私は無精ひげをなでながら案じた。


 おそらく、この仔は既に亡き者だ。そして親も同様だ。

 親が居なくなって幼子が生きていけるような甘い世の中ではない。

 おそらく、昔話にある狐はこの仔の親の事だ。おそらく自分が死んだ事に気が付かないまま、こうして親の帰りを待って、地蔵に祈っていたのだろう。


「どれくらい前からここに?」

「んー、いまとおなじきせつが……ひい、ふう、みい……いっぱい」

 

 妖は両手の指を折々答えた。

 私の思いは確信に変わる。

 哀れな。

 妖とはいえ親を想い何十年もここに居たというのか。


「それは大変だったな。さみしくないか」


 妖の幼女はかぶりを振る。


「そうでもないよ……ここをね、いろんなひとがとおっていくから……おさむらいさま、しょうにんさん……それから、おぼうさまはあなたがはじめて」


 にっこりと笑む。純真無垢とはこの事だろう。親を想い、こうして行き倒れ寸前の旅人を助けているとは。目の前の妖に人よりも高貴な心を見た気がした。


「……世話になった。礼を言う」


私は深々と頭を下げた。


「どういたしまして。おそまつさまでした……おぼうさまは、もうここからはなれるのですか?」

「早い方が良い。早く人里に下りて、人々のために祈らねばならん」


 こんな所で随分と時間を使ってしまった。私の坊主としての本分を忘れてしまいそうになっていた事を恥じる。


「じゃあ、わたしのとうさんかーさんにあえたら、わたしはげんきにしてるよってつたえてください」


 ……悪いが、約束を果たすことはできないであろう。

 私がこの仔にできる事は、祈りで彼女の成仏を願うくらいだ。永い年月を経て、強い思いとなった妖を成仏させる事は困難かもしれないが、彼女からの施しに返せるせめてもの恩返しとなろう。


「そうか……私にできる事は念仏を唱えるくらいだが、早く両親に会えるように祈ってやろう」

「ありがとう」


 妖の幼女は泣いているような、笑っているような、そんな表情で礼を述べた。


「じゃあ、いのりおわったら、おぼうさまもここからいなくなるの?」

「うむ。達者でな」

「わかった。おねがいします。さようなら」


 深々とお辞儀する狐の幼女を前にして、私は一心に念仏を唱え始めた。せめて、祈りだけでも届くと良い。

 妖とはいえ、親を想う純真な気持ちに打たれ、真っ白な心で祈る事ができる。







 ――“お坊様”は唱え終わると、光となって消えてしまった。

 何度も見た事のある、哀しいけれど、美しい光景だ。


「……さようなら」


 霞みとなって闇夜に消えてしまったお坊様の冥福を祈り、私はお別れの言葉を言う。

 もう何人もこのお地蔵さまに捕らわれて、そして悲願を叶えて消えていく。

 彼はきっと、心から祈る事を止めてしまったお坊様の霊だったのだろう。


 ……自分がどうしてそこに居るのか分からないのは私ではなく、彼らの方だ。

 過去の記憶を無くし、“既に命が無い者”である事すらも忘れて、この地蔵の前にたどり着く。

 迷い、飢えた彼らを見るに見かねた私が、彼らのために食べ物を供えて置くようになったのはいつの頃からだったか。


 稀に、こうして私の事を思って優しい声をかけてくれる霊もいた。でもほとんどは形相が乱れた霊ばかりで、私が妖であると気づくなり襲い掛かろうとする者もいた。だから恐る恐るなのは仕方がない。きっと生きている間にひどい目ばかりに遭ってきたのだろう。可哀想な事だ。


 私は、あのお地蔵様の前で悲しむ霊がいなくなって欲しい。

 昔みたいに、私ではない誰かが毎日お供えするような、そんな豊かな世になって欲しい。


 私は踵を返してお地蔵さまに背を向けた。

 明日こそ、そこに誰も居ない事を願って。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あやかし狐とお坊様 稲生拓海 @takumi-inou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ