159 李香、白麗の笛の音に限りある命を想う・その6
「これはまあ、なんと、噂に違わぬ可愛らしい娘であること……」
夫・荘興が西国の流れ者ものより手に入れて屋敷内に住まわせているという少女を、初めて見て李香は言った。
李香は病を得て久しい。
慶央郭壁内にある荘興の本宅で、長年、寝たり起きたりの日々だ。
すでに一人で歩くことも難しい身で、座敷の奥に設えた寝椅子に体を横たえて、上半身だけを厚く重ねた敷物の上に起こしている。
今年は雨の少ない夏で、慶央の南に海と見まがう江長川が悠々と流れてはいたが、郭壁内に住むものは毎日の生活のための水の工面に苦労していた。
しかし、李香の横たわった部屋の前に見える庭には、雨が降ったかのように打ち水がなされている。
小舟の浮かぶ池は青色の水を満面にたたえ、中天にさしかかるにはまだ間のある陽を受けて、まぶしく輝いていた。
繁る木々は風さえも染めるほどに緑が深く濃い。
病弱な妻の無聊を慰めるための、贅の限りを凝らした荘興の心遣いだ。
李香の横には弟の園剋と息子の康記、そして医師の永但州が並んで座っている。
彼らの正面には、庭を背に赤い笛を手にした少女が立ち、その少女を挟んで萬姜と琵琶を携えた妓女の春仙が平伏している。
部屋の外の広縁には、春仙についてきた妹ぶんの春兎がかしこまっていた。
彼らを見渡して李香は思った。
……このものたちの誰もが、わたくしがこの少女を見るのは初めてだと思っているに違いない。
しかし、わたくしはこの少女をここにいる誰よりも知っている。
なぜなら、この少女はわたくしが嫁ぐ前から、すでに夫・荘興の心に住み着いていた。
夫が小さな口入れ稼業から荘本家を立ち上げここまで大きくしたのも、この少女を探すためだ。
愚か者と世間の人々に嗤われながら、少女の噂を求めて夫が東奔西走していた日々、わたくしは妻として夫の傍にいた。
この三十年の日々で、真白い髪の少女の姿形は、会って見知っているがごとく常にわたくしの心の中にあった……
今日のために李香は呉服商・彩楽堂に、夏らしく涼やかな薄い杏色の着物を作らせ、少女のもとに届けさせていた。
少女はそれを身にまとって立っていた。
薄い杏色の下に重ねた上質の白い絹の着物と帯が透けて見える。
頭の上に結った小さな髷に金の髪飾りをあしらい、残りの髪は背中あたりでまっすぐに切り揃えられていた。
緑濃い庭から吹いてくるときおりの涼風に、その毛先がふわりと舞う。
大輪の牡丹の蕾がほころび始め、固く重なり合った花弁の奥に隠した黄色い花芯をやっと見せてくれるに違いない。
まさにそのように期待させる可憐さだ。
天女という噂もなるほどと思えるほどに、実際に見る少女は彼女の想像をはるかに超えて美しかった。
これでは、息子の康記が心を奪われるのもしかたがない。
李香は思った。
……このように美しいものはその心もまた、純粋で無垢なのか……
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