155 李香、白麗の笛の音に限りある命を想う・その2



 荘興と長く話し込んだあと部屋に戻ってきた関景のもとに、珍しく允陶自らが茶を運んできた。


 男でありながらその礼儀作法と言葉遣いは完璧で、時に慇懃無礼と皆に煙たがれる允陶だ。

 その彼が乱暴に音を立てて茶器を関景の前に置いた。

 茶が跳ねて机の上に飛び散る。


 それを咎めることなく関景が言った。


「允陶、おまえの気持ちもわからんではない。

 わしも気が進まぬのはおまえと同じだ。

 決断した荘興も、無論、そうであろうと思う」


 主人の名前を出されても承知がいかぬと、正面に座った允陶の口が一文字に引き締まる。主人・荘興の決めたことに口は挟まぬ覚悟は変わらぬが、今回ばかりは自分を納得させる言葉が欲しい。


 飛び散って中身が半分に減った茶を関景は口に運んだ。

 そして老いて乾きやすい唇を湿らすと言葉を続けた。


「安陽進出前にあの毒蛇・園剋と決着をつけねばならぬことは、おまえもわかっているはず。

 しかしながらあの毒蛇め。

 英卓の命を狙って失敗したあとは、一段と用心深くなりおった。

 巣穴である本宅に籠ったまま、その尻尾すらめったに見せぬ。


 ならば、我々からやつの巣穴に飛び込むしかない。

 だが、李香と康記が人質に取られているのも同然では、それも難しい。


 それがなんと、彼自らが我々を巣穴に招こうとしているのだ。

 これは天が与えた千載一遇の機会なのだ、允陶よ」


「しかし、そのことに何も知らぬ白麗さまを巻き込むとは……」


「それ以上は言うな。

 わしも荘興もお嬢ちゃんを巻き込みたくない想いは、おまえと同じだ。

 しかし荘興がこの戦いに負ければ、その後、お嬢ちゃんにもやつの毒牙が及ぶのは必至。

 我々はどのような手段を用いても、園剋を倒すしかない」


 荘興の正妻で病弱な李香が、「百薬よりも病に効くと巷で噂されている、笛の音をぜひに聴きたい」と言い、白麗を屋敷に招いた。

 笛の音もだが、康記がのぼせている少女を見てみたいという想いもあるのだろう。


 しかしそれは李香だけの思いつきではない。

 康記と白麗の仲に進展がないことに、園剋は焦り始めている。







 允陶が関景の前にこぼれた茶を置いた翌日、萬姜は荘興に呼ばれた。

 荘興が白麗のもとに顔も出さなければ口も出さない状態になって久しい。


 ……お忙しくて、お嬢さまに興味を失われたのではない。

  お嬢さまが湯治場より戻って後、荘興さまはご自分に強いて、お嬢さまとの間に距離を置こうとしておられる。

 その理由は自分ごときにはわからないけれど……


 そのような想いを胸に、萬姜は荘興の前に伏した。


「但州の診立てによると、白麗はすっかりもとの体に戻ったそうだな」


 顔を上げると、疲れているのか少し老けた荘興の顔があった。


「はい、毎日、お屋敷の庭で嬉児と共に、いたずらの限りを……。

 あっ、いえ。毎日、楽しく遊んでおられます」

 萬姜は再び床に頭がつくほどに伏す。


「気をつかわなくともよい。

 おまえが白麗を自分の娘のように慈しみ、白麗もまた、おまえに心を許しているということだからな」


 悪い話で呼びつけられたのではないと、萬姜はほっとする。

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