紅天楼、真夏の空に炎上する

154 李香、白麗の笛の音に限りある命を想う・その1



 青陵国の南の都・慶央に、再び、暑い夏が来た。

 中華大陸の遠く西の果ての国から慶央に流れ着いた真白い髪の少女が、白麗と名を改めて二度目の夏だ。


 短い真白い髪は少しずつ伸びて、昨年の夏には肩に届き、今年の夏は背中で美しく煌めく。毎朝、萬姜はその髪を結い、珊瑚の簪や赤い絹の紐で可愛らしく飾ってやった。


 しかしその可愛らしく結った髪と、彩楽堂の主人の見立てた美しい着物を身にまといながら、彼女はいつまでも無邪気な少女のままだ。


 八歳となり少し大人びてきた嬉児と毎日、屋敷内の厨房・馬小屋・犬舎を見てまわり、猫を探しては縁の下に潜る。

 相変わらず、着物を泥で汚し髪に蜘蛛の巣を貼りつける。


 夕方になると彼女は英卓の帰りを待ちわびた。

 彼にどれほど手酷くからかわれても、笑って喜んだ。

 康記を〈ウマ〉と呼ぶのも相変わらずだ。

 そして本当の馬の黒輝はますます彼女に懐いた。


 気が向くと愛笛の〈朱焔〉を構えて即興で妙なる音色を奏でる。

 その時は、屋敷内で忙しく働くものたちもその手を止めた。

 厩舎の馬も犬舎の犬も頭を垂れ、縁の下の猫ですら毛づくろいをやめて、その音色に聞き惚れた。







 荘本家の安陽進出を誘った薬種問屋の隠居・沈明は、遠い都の地にあって荘興との約束を着々と実行に移していた。


 慶央から来るものたちのために、新しい住居を安陽の郭壁内に用意した。

 広い敷地の中の生い茂った木々に隠れるように、屋敷も何棟か建て増した。

 沈家の財力に不足はないと言い切った彼の言葉は確かだ。


 それに応えて、荘本家からも数度に分けて先発隊を送り出した。

 目立つことを怖れて、彼らは薬草を運ぶ商人の姿に身をやつした。


 沈家の屋敷に見慣れぬ男たちの出入りが増えた。

 しかしそれには薬種問屋〈健草店〉が遠く慶央まで商売の手を広げたのだという言い訳が用意されていた。


 あとは荘興の三人の息子・健敬・英卓・康記の三人の誰かを荘新家の宗主として安陽に迎え、歓迎するのみだ。


 すでに三十歳となり荘興の右腕となって久しい長男の健敬が、慶央を離れることはない。


 そうなれば英卓か康記か。


 英卓は妾腹の子であるので、正妻・李香の産んだ康記を差し置いて荘新家の宗主となった場合、果たして人望が得られるのかという不安がある。


 だからといって康記では別の不安が大きい。

 彼の後ろには園剋が張りついている。

 園剋がいる限り、荘新家とは名ばかりでそのうちに乗っ取られることだろう。


 そろそろ康記と園剋を引き離す時がきているとは、誰もが思うこと。

 しかし、すべての決定は荘興の胸の中にあることなので、関景であろうとも口出しは出来ない。


 根雪の固まる前の山越えを考えれば、慶央を出立するの秋が深まる前になる。

 年明けを安陽で迎えるのは、荘新家の新しい門出にはふさわしい。


 荘本家のものたちはその準備に身も心も浮き立っていた。

 そしてまた、荘興と園剋のどちらかの血を見ずには収まりそうにない対立の始まりに、大きな緊張も抱えているのだった。

 

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