152 英卓と萬姜、嵐の夜に火花を散らす・その4



 英卓と萬姜の間に漂う不穏な空気に、白麗は気づいていない。

 突然現れた英卓に喜び、そして「菓子を好きなだけ食え」と言われて無邪気に笑った。


 そんな白麗の様子を眺めて、英卓は楽しそうだ。

 しかしながら、とてもではないが萬姜に酌を頼めない状況であることを察して、手酌で注いだ酒を舐めている。


 外では風がますます強く吹き荒れる。

 横殴りの雨の音が先ほどよりも煩くなったのはあられが混じってきたのだろう。

 人の耳にも遠くでゴロゴロという雷鳴が聞こえるようになった。


 白麗の菓子を頬張る手が宙で止まり、眉根の寄せられた顔が不安に曇る。

 そのたびに白麗の気をらそうと、雷鳴に負けぬ大きな声で英卓がくだらぬ冗談を言う。


 甘いものが本当に嫌いなのか。

 それとも健記から届けられた菓子であることを知って、それが気に入らぬのか。

 食欲の失せそうな菓子への当てこすりはまだ許せる。

 

 それもネタが尽きると、今度は白麗が言葉を理解できないのをよいことに、堂鉄と徐平に向かって妓楼での卑猥な体験談を語り始めた。

 酔いが回ってきているらしい堂鉄と徐平もそれに応えて、愉快そうに声を揃えて笑う。


 膝の上に揃えていた萬姜の指先が小刻みに震えた。


 このような状況で酒を呑み冗談に笑い合う男たち三人への怒りなのか。

 それとも一年前の、青白い稲光に浮かび上がる白麗の錯乱した姿をありありと思い出したせいなのか。

 





 雷神の乗った黒雲はついに慶央の真上に達した。


 ひときわ強い閃光に、閉め切っているはずの部屋の中のすべてのものが青白く光る。間を入れず、地が裂けたかと思われるような雷鳴が轟いた。


 「きゃっ」と叫びそうになった自分の口を、萬姜は慌てて両手で押さえた。

 そして女主人を見る。


 齧りかけの菓子を手に、英卓の繰り出す卑猥な冗談に意味の解らぬまま頷いていた白麗だった。


「おっ、麗もそう思うのか。

 意外とおまえも隅に置けぬ女だな。

 そうか、そうか、父上に手ほどきを受けた訳か?」


 手酷くからかわれても、嬉しそうに頷き笑っていた。

 その白麗の様子が一変した。

 菓子を膝の上に落とし、目が泳ぐ。


 ……お嬢さまを抱きしめて、安心させてあげなければ……

 萬姜は立ち上がろうとした。


 しかし、盃を置いた右手を上げて、英卓は無言で彼女を押しとどめた。

 自分を見失っていく白麗に視線は定めたまま、彼は片手で前に置かれた膳や盆を脇へと押しやる。


 ……英卓さまは、何を考えておられるのか。

 一年前、このような状態になったお嬢さまを、何人もの男たちが束になっても抑えきれなかったというのに……


 再び、強烈な閃光ですべてが青白く染まる。

 突然、白麗が立ち上がった。


 青く染まった彼女の短い白い髪が肩の上でふわりと広がったのは、恐怖で逆立ったためか。あたりの空気と人の心を切り裂くような悲鳴をあげて白麗は身を翻した。


「堂鉄! 徐平!」


 雷鳴にもかき消されぬ大きな鋭い声で、英卓が叫び立ち上がった。


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