151 英卓と萬姜、嵐の夜に火花を散らす・その3



 夕刻になって、雨混じりの風が吹き始めた。

 打ち付けられた窓や戸が、時おりガタガタと揺れる。

 それにあわせて、一年前の夜と同じく明るく灯された燭台の炎が揺らめく。


 風の音に犬の遠吠えや馬のいななきが混じるのは、四つ足の彼らの耳はすでに遠雷を捉えているのだろう。外に出ていたものは片づけられているはずだが、何かが吹き飛ばされて転がっていく音がする。


 部屋の隅には火が赤々と熾された火鉢も据えられている。

 あとは康記を待つだけだ。


 幸いというべきかどうか、女主人は一年前の嵐の夜に錯乱したことはきれいさっぱり忘れている。外の騒ぎよりも目の前の膳に並べられた菓子や果物に気を取られている。


 康記が気を利かして、本宅より届けておいてくれたものだ。


 幼い嬉児が一つ一つの皿を指差して、「あれは美味しそう。これは甘そう」というのを、白麗は目をきらきらと輝かせて聞いている。

 手を伸ばしたくてたまらない様子だ。

 しかし、「康記さまをお待ちいたしましょう」という萬姜の言葉を理解して、いまは素直に従っていた。


「それにしても、康記さまは遅うございますね。

 あのかたに限ってお約束をたがわれることはないでしょうに。

 このように菓子の心配までしてくださっているのですから」


 萬姜は膨らんでくる不安を胸の中に仕舞っておけず口にした。

 これで三度目だ。


 そのたびに白麗は「ウ・マ!」と言葉を返した。

 






 膨らみ過ぎた不安に居ても立ってもおられなくなって萬姜が腰を浮かした時、外の渡り廊下へと続く戸が細く開いて、男三人が滑るように部屋に入ってきた。

 上背のある彼ら三人が並ぶと、突然、そこに壁が出来たようだ。


「英卓さまが、なぜここに?」


 萬姜の驚きに答えることなく、英卓は康記のために用意していた場所に座った。

 堂鉄と徐平も萬姜の許しを請うことなく、部屋の隅で向かい合って座る。


 肩を濡らした雨を払いながら、英卓は前に据えられた膳の上の菓子や果物を見て言った。


「嵐の夜にままごとか?

 おれは弟と違って甘いものは苦手だ。

 梨佳、厨房に行って、三人分の酒の用意を頼んできてくれ。

 長居はせぬので凝った肴はいらない。


 そのあと、おまえは嬉児を連れて、下働きの女たちが集まっている部屋で今夜の嵐をやり過ごせ。

 嫁入り前の大事な体だ、怪我はしたくないだろう?」


 怪我という言葉に梨佳は顔色を変えて、嬉児を連れて部屋を出て行った。

 二人の後ろ姿を見送って英卓は萬姜に言う。


「萬姜、いくら待っても康記が来ることはない。

 ここの心配よりも、本宅の母上の心配をせよと父上が言われたのでな。

 ということで、康記の代わりに、しかたなくおれが来てやったという訳だ。

 不満だろうが、諦めるしかないな」


 彼の言葉はどこまで真実かと萬姜は思う。

 口数の多いわりには決して本心は語らぬ男だ。

 たが、彼女が女主人の幸せのためにお膳立てしたことを、この男がぶち壊したことだけは間違いない。


 悔しさをにじませて睨みつけた彼女の視線と目を細めた英卓の視線が絡んで、火花が散った。


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