150 英卓と萬姜、嵐の夜に火花を散らす・その2



 十日前、白麗の部屋に遊びに来て帰ろうとした康記を、萬姜は追いかけて門の近くで捕まえた。


「康記さま、白麗お嬢さまのことでお願いがございます」


 萬姜がそう声をかけて康記が振り返ると同時に、真後ろで英卓の声がした。


「麗のことで、おれの可愛い弟に頼みごとがあると? 

 萬姜、それはなんだ?」


 ……まさか!

  英卓さまだけには聞かれたくなかった……


 よほどの無念な思いがあからさまに彼女の顔に出ていたのだろう。

 英卓が続けて言う。


「萬姜、幽霊でも見たような顔をするな。

 天下の往来とは言い過ぎだが、荘本家の門の前だ。

 誰が通りかかっても不思議はないはず。

 なあ、俺の可愛い弟の康記、おまえもそう思うだろう?」


 皮鎧を重ねた彼の着物は茶色い土ぼこりにまみれていた。

 荘興に命じられて荒仕事の一つを片づけて帰ってきたところか。

 かすかに人の血が臭いそうだ。


 親しげに肩を組んできた片腕の英卓に康記は呑まれてしまった。

 「兄上……」と答えものの、あとの言葉が出てこない。

 

「ほらな、康記の許可も得た。

 萬姜、遠慮することはない。

 困りごとがあるのなら、なんでも、おれたち二人に言え」


 顔は笑っているが目は笑っていない。

 気圧された萬姜が言う。


「もうすぐ、慶央に冬の終わりを告げる嵐が来ます。

 白麗お嬢さまは雷をことのほか怖がられます」


 萬姜の言葉をそこまで聞いた英卓が言った。


「ああ、萬姜、噂は聞いているぞ。

 昨年の嵐の夜に、おまえに一喝された父上は、枕を抱えてすごすごと寝所を出て行ったとか。 

 そうか、そうか、読めてきた。

 さすがに今年の嵐の夜もよろしくとは、おまえも父上には言いにくいか」


 あの夜の大変さを知らない男のあまりの言い草に、萬姜の負けん気がむくむくと頭をもたげてきた。

 まなじりを釣り上げて英卓を睨みつける。

 さすがの英卓も言い過ぎたと思ったのか。

 すっと異母弟から離れて、萬姜に背中を見せた。


 この際だと、萬姜は声を張り上げて言った。


「お嬢さまは康記さまをことのほかお慕い申し上げております。

 嵐の夜に、康記さまがご一緒してくだされば、心強く思われることでしょう」


 萬姜の言葉に、康記の顔が嬉しさに赤く染まった。


「白麗のためだったら、俺はなんでもする。

 必ず、その日は来て、白麗を慰める。

 萬姜も安心するといい」


 萬姜は改めて思う。

……お嬢さまのお幸せを託すのはこの康記さましかいない。

 お嬢さまのお気持ちはまだ康記さまに向いてはおられないが、女の幸せは好いてくれる男に嫁いでこそ。

 お二人はまだ若い。

 そのうちにお嬢さまも康記さまのお気持ちに気づかれるはず……

 

「ありがとうございます。

 その日はお待ち申し上げております」


 康記の力強い返事に、萬姜は深々と頭を下げる。

 そして目の端で英卓の横顔を盗み見た。


……なんだ、そんな話か。

 面白くもないことを聞いてしまった……


 そう言いたげに彼は鼻の頭を掻いていた。


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