149 英卓と萬姜、嵐の夜に火花を散らす・その1
季節が巡った。
荘本家の奥座敷に住まう白麗と彼女に仕える萬姜とその二人の娘たち。
彼女たちの穏やかな冬の日々が終わろうとしていた。
朝から屋敷内が慌ただしい。
下働きのものたち総出となって、部屋の外に置かれているものが取り込まれ、戸や窓が開かぬようにと板が打ち付けられている。
釘を打つ音や人の言い合う声があちらこちらから聞こえてくる。
轟く雷鳴に白麗が錯乱した日から一年、再び、慶央に晩冬の嵐が来る。
今は北から乾いた冷たい風だ。
それが半日をかけてゆっくりと方向を変え、西寄りの生暖かい風となる。
そして夜半にその風は、横殴りの激しい雨と絶え間ない稲光・雷鳴を呼び寄せるのだ。
「慶央の人ではない萬姜さんにはわからないだろうが、あの西の空の雲。
不気味に黒いだろう?
あれは嵐の前触れっていうやつだよ。
そういえば、萬姜さんが嵐を経験するのは、この冬で二度目だねえ」
白麗の部屋の窓に板を打ち付けていた男がそう言い、意味ありげに笑った。
去年の嵐の夜、白麗を抱こうとした荘興を命知らずの萬姜が寝所から追い出したという話は、面白可笑しく尾ひれがつけられて、屋敷内で知らぬものがない。
「今日は、宗主さまは出かけられていてご不在だと聞いている。
そうなると困ったことだねえ。
今夜はどうするつもりなのかい、萬姜さん」
「くだらないお喋りはおやめなさい。
ほらほら、口が動くと手が止まっていますよ」
仕事の終わった男を部屋から追い出すと、萬姜は空の黒い雲を見あげた。
……お嬢さまが雷を怖がられても大丈夫なように、今年はすでに抜かりなく手を打ってある。そろそろ康記さまがお見えになってもよいころだけど……
昨年の秋には、梨佳が荘興の養女となって沈家に嫁ぐなどというもったいないような話が決まった。そして息子の範連は医学の道を志し、永但州の医院に住み込む形で弟子入りしている。
その範連に薬箱を背負わせて、時々、但州は荘本家の屋敷に来る。
屋敷内の病人怪我人の治療のためだが、その時に必ず奥座敷にも顔を見せて、昨年の春に大病を患った白麗の脈をみる。
先日、彼は笑いながら萬姜に言った。
「お嬢さんの体についての心配事は消えたぞ、萬姜。
それは、おまえはまた、『お嬢さま、お嬢さま』と追いかけねばならぬ日が来たということだ。
それはそれで、気苦労が絶えぬな」
白麗の健康が戻った嬉しさに、萬姜は決意もかたくはっきりとした声で答えた。
「お嬢さまがお元気になってくだされば、わたくしは、この屋敷の中、いいえ、慶央の街中だって追いかけますとも」
「おまえは頑固がつくほどのきまじめな女だ。
まあ、それがお嬢さんのためではあるのだが。
しかしながら、自分が正しいと思う方向に、一人で突っ走らないように気をつけるのだぞ。
男たちの思惑が複雑に絡み合っているこの屋敷で、お嬢さんとおまえ自身の子どもを守り抜くのはさぞ気苦労の多い日々だろう。
わしでよかったら相談にのる。
なんでも遠慮なく言えばよい」
永但の優しい言葉は嬉しい。
しかし下女の身で、お嬢さまの将来のお相手を画策しているなどとは、口が裂けても言えることではない。
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