147 白麗、その意味を知らぬ嫉妬に泣く・その8



 荘本家屋敷を出て半刻ほど、白麗を前に乗せて荘記は黒輝をはやらすことなくゆっくりと駆けていた。


 黒輝は並外れて賢い若い牡馬だが、そのぶん気性も荒い。

 彼の愛馬となって半年が経つが、機嫌が悪いと今でも持て余す。

 何度か振り落とされかけた。


 だが、白麗を乗せると黒輝はおとなしい馬となる。

 もっと速く走れとばかりに少女にたてがみを引っ張られようが横腹を蹴られようが、まったく動じない。そのゆったりと軽やかな走りから白麗を乗せる喜びと誇らしさが伝わってくる。


 ……白麗は馬を操れるのか?……


 そう思う時がある。

 彼女を一人で黒輝に乗せたら、真白い髪の少女と黒い毛並みの馬は一陣の風となって遠くへ駆け去ってしまいそうだ。






 江長川へと注ぐ支流の川沿いの、冬を待つ田の黒々とした土の中を走り、葉を落とし始めた木々の繁る林を抜ける。南に帰る渡り鳥の羽ばたきを頭上に聞き、茶色くなった葦の葉越しに、小舟を浮かべて投網を打つ漁師の姿を見る。

 供の五騎は少し離れて後ろをついてきていた。


 荘記は白麗の体に回している左腕に力を込めると言った。


「白麗、おまえも安陽に行きたいか?」

 白麗が荘記の腕の中で身をひねり、彼を見上げると言った。

「ウ・マ!」


「おれか? 

 もちろん安陽に行きたいと思っている。

 白麗、おまえだけに話すが、おれはな、慶央が大嫌いだ」


 再び前を向いた白麗の白い髪が風に吹かれて、彼の顎を撫でる。

 黒輝の動きに合わせて上下に跳ねる体の動きを楽しんでいる白麗は、まったく彼の言葉など耳に入っていない様子だ。


「ご自分の病弱を理由に、おれを甘やかして育てた母上が、おれは嫌いだ。

 母上はおれが可愛いのではない。

 父上と荘本家の生業が嫌いなのだ。


 その母上におれを押しつけて、何も言わぬ代わりに不満顔しか見せぬ父上も、おれは嫌いだ。

 そして、叔父上だが……」


 あの日の康記は七歳になっていたかどうか。

 午睡から覚めた時に傍に誰もいないことを心細く思うほどには幼く、隣の部屋でひそひそと語られていた使用人の言葉を理解できるほどには大人びていた。


 当時は使用人の誰もが彼の顔を見ると言っていた。


「宗主さまはお仕事がお忙しいゆえに、めったにご本宅には来られません。

 園剋さまはお坊ちゃまの父上のようでございますね」


 だから自分も立ち聞いたことをそのままに叔父に話したのだ。

「叔父上は、康記の本当の父上なのですか?」


 数日後、ひそひそと語らっていた使用人の二人が死んだ。

 見るのも無残な姿に斬り刻まれていたということだ。


 その日より彼の心の中で叔父・園剋の存在は絶対的なものとなった。


 園剋という檻の中に閉じ込められた自分は一匹の怯えた小さな獣のようだと思う。そしてなぜか悪さの限りを尽くして父・荘興の苦り切った顔を見ると、その息苦しさは一瞬だがやわらぐ。

 

「おれはな、叔父上も嫌いだ」


 聞いていない白麗にむかって彼は呟いてみた。

 初めて口にした言葉だ。


「おれは、父上も母上も叔父上もそして慶央も捨てて、安陽に行きたい。

 白麗、おまえも一緒に安陽に行こう」


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