143 白麗、その意味を知らぬ嫉妬に泣く・その4



 英卓さまのご無体を荘興さまか允陶さまにご相談申し上げようかと、何度か萬姜は考えた。


 しかしいまの荘本家は、安陽進出が決まったとかでその準備で浮足立っている。いや、時に殺気だっていると感じる時もある。


 荘本家の稼業は私兵も構えた任侠で、時に命の遣り取りさえするとは萬姜も知っていた。

 奥座敷のささいな悩みで荘興さまや允陶さまをを煩わすのは、奥内をあずかる身としては決してしてはならないことだ。






 白麗お嬢さまのお守り役である自分の最終的務めは、お嬢さまを荘家の男の誰かに嫁がせることであると萬姜は信じている。


 それは、荘興さまで当然と思っていた時もあった。

 しかし荘興さまが白麗さまより少し距離をおかれたいまは、その年齢から考えて荘家のお若い方のほうがよいのは当然のこと。


 ご長男の健敬さまにはすでに妻帯しておられる。

 あの英卓さまはそのようなことを考えるだけでもおぞましい。

 そうなれば末子の康記さまが一番ふさわしいお相手ではないだろうか。

 いや、お嬢さまをお幸せにしてくださるお相手は康記さましかいない。


 康記さまは、素行が悪くあまり評判のよくないお方だとは聞いていた。


 しかし現在の康記さまは悪友たちとの交際を断ち、妓楼通いもお止めになったと下働きのものたちが噂していた。


 それで馴染みだった紅天楼の春兎の悋気が激しく、街中で康記さまを待ち伏せして、人目も気にすることなく詰め寄ってなじったとか。

 梅見の宴のおりに、春兎が嫉妬心もあらわにお嬢さまを睨みつけていた顔を忘れていない萬姜は、その話に溜飲の下がる思いがした。


 いまの康記さまはひょろひょろと背ばかり高く痩せておられるが、あと数年すれば、見かけも心映えもよい大人の男になられるにちがいない。


 背が高く精悍な顔つきをした荘興さまと気高い李香様の間に生まれた康記さまだ。中華大陸西方の宮女であったとかいう母の血をひいた英卓さまと並ぶと見劣りはするが、しかし康記さまもなかなかに美丈夫だ。

 色浅黒いその顔にはまだ幼さは残るが、大人になれば荘興さまをしのぐよい男になるであろう思われる。






 白麗を手酷くからかう英卓への苛立ちが大きくなるほどに、萬姜の康記への期待は一方的に膨らんだ。

 女主人の白い頬の上で乾き始めた涙をぬぐってやりながら、彼女は呟く。


「そうですとも、女の幸せは好いてくださる男の方に嫁いでこそにございます。

 世の中、英卓さまだけが男ではありません。

 お嬢さまの新しい恋の始まりに、及ばずながらもこの萬姜、手助けいたしたいと思います。

 お相手の男の方は、このわたくしにお任せください。」


 六鹿山で英卓の命を狙ったのが康記の後ろに隠れている叔父の園剋だったとは、この時、彼女はまったく知らなかった。


 そしてまた、口では手酷くからかいながらも白麗を可愛がる英卓、泣くじゃくりながらも英卓に懐く白麗。

 英卓憎しに凝り固まった彼女は、その不思議に思いを馳せることはなかった。


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