142 白麗、その意味を知らぬ嫉妬に泣く・その3
萬姜が想像した通りに、それは夕餉の時に起きた。
今では白麗は自分で箸を持ち、皿に盛られたものをなんでもよく食べるようになった。元気になったので食べるようになったのか、食べるようになったので元気になったのか。
言葉の不自由な白麗のために、碗と皿によそおわれた食べものの一つ一つの名前を言ってから、梨佳は白麗に食べるように勧める。時に会話の中の言葉の一つでもオウム返しで上手に繰り返せば、横にいる嬉児が手を打って誉めそやす。
「お嬢さま、美味しゅうございますか?」
「オ・イ・シ・イ……」
「おいしい!」
女だけの楽しくなごやかな夕餉の光景だ。
そこへ、時々、英卓が乱入して来る。
案内も請わずずかずかと。
「おい、麗。帰ったぞ」
「おい、麗。元気か?」
「麗、何を食っている?」と言いながら。
その不躾を何度もお諫めしようと萬姜は思った。
しかしながら、部屋に入ってきた英卓を見た時のぱっと輝く嬉しそうな女主人の顔を見ると、ついついためらってしまう。少女の喜びに輝く顔は、新開に住んでいた頃、稼業の仕入れから帰ってきた夫の姿を見た時の、幼い時の範連や萬嬉の顔と重なった。
……お嬢さまを犬呼ばわりしていた時にお諫めしても、「ワンコをワンコと呼んで何が悪い」と、平然とおっしゃる英卓さまだ。
わたくしごときのお諫めなど、蚊が刺した痛みにも感じられないだろう。
それでもその後、おしゃべりや笛の音を楽しまれたりと、お嬢さまのお相手をされるのなら不躾も許されようけれど。
あの忠義面をした堂鉄・徐平の二人と妓楼へ繰り出される予定のある晩でも、これからの楽しみを顔に貼りつけたまま、お嬢さまの部屋に来られるとは。
お嬢さまの顔を見て上機嫌で一言二言、一方的にからかい、そして部屋に入ってきた時と同じ慌ただしさで、「おい、麗。またな」と出て行ってしまう。
取り残されたと知って茫然とされるお嬢さまを残して……
寝入ってしまいもうその耳に入っていないと思われるが、萬姜は女主人の想いに独り言で答えた。
「ほんとうに底意地の悪い男でございますね。
お嬢さまのお気持ちを知らぬわけはないと思われますのに」
無邪気で世間知らずで人の言葉を理解するのに不自由な白麗だ。
だが、そういうことが何度か重なれば、英卓が自分をおいて仕事ではない楽しみごとのある場所へ行こうとしているのは、なんとなく理解できる。
そういう夜に、白麗は暴れて泣いて、そして最後は萬姜に慰められながら寝てしまうのだ。
言葉が不自由で記憶を長く留めておけないので、翌朝に目覚めた時は、彼女は何に怒り何を悲しんだかほとんど忘れている。
それが救いと言えば救いではあるが。
しかしそれはまた、このように同じことを何度も繰り返すことにもなる。
萬姜の口からまたため息が一つ漏れ出る。
人の胸の中にはいったい幾つのため息を仕舞いこんでおけるものだろうかと、萬姜は思った。
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