137 荘興、沈明宥と義兄弟の契りを結ぶ・その2


 明宥と大男の言い合う声が伝わったようで笛の音が止み、座っていたものたちも一斉に立ち上がった。


「堂鉄、何者だ?」


「沈明宥さんにございました。

 月の明かりに誘われて迷われたとか」


「そうか。それなら、表座敷まで送り届けてあげよ」


 その声に聞き覚えがある。

 その背の高さと左腕があるべき場所のおぼつかない影に、英卓だと知れた。

 屋敷にいることはめったにないと聞いていたが、今夜は久しぶりに戻ってきているのか。


 言い終えたあと、彼は長躯を傾けて少女の耳元に何やら囁く。

 少女は月の光に煌めく真白い髪の頭で大きくかぶりを振った。

 やおら男はしゃがみ込みその右肩に少女を担ぐ。


「重い! 甘えるな! 

 麗! 病はすでに癒えて、歩けるのだろうが!」

 

 男と女の馴れ合いというより、明宥には仲のよい兄妹のように見えた。







「待たせてしまった。申し訳ない……」


 允陶を伴って現れた荘興はそこで言葉を切った。

 居ずまいを正し微動だにしない明宥にただならぬ気配を察したのだ。

 彼もまた背筋を伸ばして座ると言った。

  

「明宥さん、どうされた?」


 その言葉に顔を上げた明宥はずばりと言った。

「荘興さん、都・安陽に進出なされませぬか?」


 荘興は顔色一つ変えることはない。

 しかし傍らに控えていた允陶の肩先がぴくりと動く。


「それは、その言葉の持つ重さを知って言われたのか? 

 男の言葉は木で熟した果実と同じ。

 地に落ちれば、再び元の木に戻ることは叶わぬ」


「すべて承知のこと。

 安陽に進出となれば、この沈家、必ずや陰になり日向になりお支えいたします。

 私自身は老い先短い身であれば、子にも孫にも伝え守らせましょうぞ」


「荘本家にあっても、安陽進出を願う声があるのは事実。

 しかし慎重にことをなさぬと、大きな痛手を被ることにもなる」


「それは当然至極のこと。

 そのためにも準備の時間として、私にも一年の猶予をいただきたく思います」


「明宥さんの言われたこと、この荘興、よくわかった。

 しかし、ただ一つわからぬことがある。

 荘本家の安陽進出によって、沈家は何を手に入れる?」


 ここまで一気に語ってきた明宥が言いよどんだ。


「実を言うと、私にもそれが何なのかわかりませぬ。

 荘本家を安陽に迎えて、何が起こるのか、あるいは何も起こらぬのか……。

 

 今はただ、今宵の白麗お嬢さまの笛の音が、私に決心を促したとか言いようがありません。

 まことに不思議なことでございます」


 沈明の言葉に、今度は、荘興が腕を組み目を閉じた。


 白麗の笛の音のせいだと言われて、この一年、彼女を手元において起きた出来事のあれこれが、彼の頭の中をよぎる。

 明宥はまことに不思議なことと言ったが、自分こそ、その不思議を身をもって体験してきた。


「すべて承知した。

 わしには、健敬・英卓・康記の三人の息子がいる。

 一年後に、そのうちの誰かを安陽に行かせよう。


 では、明宥さん。

 今夜のこのよき月明かりの下で、義兄弟の契りを結ぶことにいたそうぞ。

 允陶、新しい酒と盃の用意を!」








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