133 沈明宥、慶央の山中で賊に襲われる・その5



 しかしながらこの席に、明宥の命の恩人である英卓の姿はない。

「荘興の次男とはいえども、彼はまだこのような席にはふさわしくない若造だからな」と、関景から説明を受けた。


 そう言われて、荘本家三千人といわれる規律の厳しさと統制に、明宥は内心感じ入るものがあった。人生最後となるであろう旅で、このような豪胆なもの達に巡り合うことが出来るとは……。


 そしてまた、明宥が旅好きの酔狂な隠居老人というだけではないことを、この席の荘本家のもの達もまた見抜いていた。

 それは安陽での彼の財力のなせる技なのか、それとも彼の秘めた過去のせいなのかはまだわからないが。






 明宥の盃に酒が満たされたのを見て、荘興は言った。


「明宥さん、まことに間一髪のことであった。

 慶央の山中に賊が横行していると聞いて、英卓にやつらの始末を命じていたのだが。まさかその途中の山道で、明宥さんと出会うことになろうとは。


 英卓の到着がもう少し早ければ、明宥さんの孫も怪我を負うことなく、供のものたちも死なずにすんだと思えば悔いは残る。

 間に合わず申し訳ないことをした」


「荘興さんにそのように言われては、こちらこそ返す言葉がありません。

 旅に出れば、こういうことも覚悟の上のこと。

 ただ自分は歳には不足ないと諦めがついても、孫の沈賢はまだ若く、先に逝かせてはならぬとそればかりを案じました。

 永先生の治療のおかげで助かり、誠にありがたいことです」


 但州は自分に話を振られたので、呑み干した盃を手にしたままで答えた。


「いやいや、如賢の傷は見た目より浅かったのが幸いした。

 それに、彼の傷に効いたのはわしの治療ではなく、可愛い女子の手厚い看病のように思えるのだが」


 その言葉に皆がどっと笑い頷き合う。


 如賢の看病には、白麗とともに湯治場から帰ったばかりの梨佳があたっている。

 病を得ていた白麗に長く付き添っていただけに、彼女には適任の仕事であった。


 そしてその当然の結果として、若い男と女である如賢と梨佳との間に、お互いを好ましく思う感情が芽生えつつある。


 そのことに、肝心の当人同士がもどかしくもいまだ気づいていない。

 しかし、この座にいるそれぞれ海千山千の経験を詰んできたものたちにはお見通しということだ。


「梨佳の人となりは、このわしが認めよう。

 あの萬姜の躾を受けて育った女子だからな」


 荘興の言葉に、萬姜をよく知らぬ明宥以外のものが再び笑った。

 酒の酔いもあって機嫌のよい荘興は言葉を続けた。


「ただ、梨佳の父母はすでに亡くなり、萬姜が親代わりに育てたと聞いている。

 明宥さんの承諾があれば梨佳を荘家の養女として、沈家に嫁がせることを考えてもよいな」


「なんとなんと、如賢にはもったいないようなお言葉。

 それでは、若い二人の心が定まるまで、いましばらく様子を見ることにいたしましょう。


 ところで、英卓さんにはまだあらたまってお礼をしておりません。

 何もかもが良い方向へと片づいた今、一番に気になっています」

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