132 沈明宥、慶央の山中で賊に襲われる・その4


  

「旅のご老人、怪我はありませんか?」


 弓を片手に持った若い男が藪から飛び出してきた。

 背中に矢の刺さった男の体を足で一蹴りすると、腰を抜かしている明宥に手を差しだす。


 まだ少年と思われるその顔には、血生臭い場所にはそぐわない爽やかな笑みが浮かんでいた。

 若者の名前が徐平というのだとは、あとから知ったことだ。


 差し出された手にすがって立ち上がりながら、明宥は言った。

「孫が……、孫の如賢が……」



「孫というのは、この男のことか? 

 かなりの深手だが、手当次第では命は助かるだろう」


 倒れている如賢の傍で片膝ついて、その傷を調べていた大男が言った。

 彼の名前が魁堂鉄であることも、あとから知ったことだ。


「怪我人の数と状態を確かめろ。

 屋敷に伝えて、怪我人のための馬車を手配するのだ。

 永先生にも待機してもらうように言え。

 山賊のやからは傷の浅いものを一人を残して、あとは始末する」


 少し離れたところで、短槍を右手に仁王立ちとなり、よくとおる声で的確に指示を飛ばしている背の高い男がいた。


 短く切った前髪が顔の半分を隠している。

 遠目でも、なかなかの美丈夫な若者だ。

 左袖を体に巻きつけるようにきっちりと帯に挟み込んでいるところを見ると、片腕がないのか。


 彼の名前が荘英卓というのだとも、これもまた明宥はあとから知った。






 開け放した戸から、昼間の暑さを追い払うようにそよとした風が忍び込んでくる。慶央の秋の始まりは安陽と比べ物にならないほどに暑いといえ、やはり夜気の気配は涼やかだ。


 慶央の山中で盗賊に襲われた明宥が、荘興の好意に甘える形で荘本家の屋敷に留まってはや十日が過ぎた。

 命を落としたものたちの簡素ではあったが、葬儀も無事に終わった。

 永但州の治療で孫の如賢の傷も回復にむかっている。


 ことのあらましを文にしたためて、安陽の留守宅を守っている息子たちに早馬で送った。

 

 もう二度と、旅には出させてもらえないだろう。

 これも天の計らいか。

 いや、天を引き合いに出すとはあまりにも畏れ多い。

 自業自得というものであろう。


 思わずついた彼の小さな嘆息を、前に座っていた荘興が耳ざとく聞きとがめた。


「どうされた、明宥さん?

 山賊に襲われたうえに、慣れぬ土地での慌ただしい日々。

 安陽が恋しくなれましたか?」


 荘本家の宗主を名乗るこの男の齢は五十歳ほどか。

 その歳を感じさせぬ精悍な面構えに、六十年前に一族郎党の処刑がなければ、このような弟を持ちたかったものだと、明宥は思う。


「まだ帰られては困るぞ、明宥さん。

 我らのような田舎者に、都・安陽の話をいろいろと聞かせてもらわねばな」

 明宥に口を挟む余裕を与えることなく、関景と名乗る男が言った。

「おい、允陶。明宥さんの杯が空だ」


 今宵は、明宥をねぎらうために、宗主の荘興自らが設けてくれた酒席だった。


 荘本家の来客の間で、酒の肴を並べた膳を前に、明宥は荘興・関景・永但州と向かい合っていた。彼ら四人のほかに家令の允陶の膳も末席にあったが、彼は酒の入った甕を手に座を取り持つことで忙しい。

 

 







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