128 白麗、その意味を知らぬ<恋>に泣く・その9



 英卓はそっぽを向いたままの少女に言った。


「おい、ワンコ。

 いや、違ったな。しかし、白麗さまなどとは他人行儀だ。

 おれとおまえの歳だと、兄と妹か。

 では、これから麗と呼ぶことにしよう。


 おい、麗。


 一足先に、おれは慶央に帰る。

 命を助けてもらったおれのほうが、先に元気になってしまったことを申し訳なく思っている」


 その言葉にも横を向いたままの白麗に、くじけることなく英卓は言葉を続けた。

 言葉が不自由な少女のために、言葉を選んでゆっくりと話しかける。


「おまえに命を助けてもらった恩義に、おれはこの体をかけて報いるつもりだ。

 そのためには、麗に元気になって慶央に戻ってきてもらわねばな。

 わかるな?」


 おれのために元気になれとは。

 どこまでも上から目線の高飛車な男だ。

 しかし少女はその言葉に、相変わらず横は向いているものの小さく頷いた。


「では、秋に、慶央で会おうと言いたいところだが。

 父上の厳しいしごきに疲れたら、ここにはしょっちゅう戻ってくる」


 戻るという言葉が理解できたらしく、今度は少女は大きく頷いた。


 





 慶央へと帰って行く英卓たちを見送ったあと、部屋に戻ってきた萬姜は、染みついた汚いものを払うかのように着物の裾を払った。


「本当に、最後まで、傲慢な英卓さまでございましたねえ。

 荘興さまのお身内でなければ、お嬢さまに代わって、何度、ひっぱたいてやりたいと思ったことか……」


 その時、少女の手よりぽとりと手鏡が落ちた。


「お、お嬢さま!

 ど、どうなされました?」


 慌ててかけよると、女主人はそのまま萬姜の胸に身をあずけて肩を震わせた。

 その背中を優しくさすってやりながら萬姜は言った。


「皆さまが帰ってしまって、明日から淋しくなりますねえ。

 お嬢さまもはやくお元気にならねば」


 英卓は突然襲ってきた頭痛の正体を知らない。

 白麗もまた、英卓とのしばしの別れが泣きたいほどに辛い意味を知らない。

 萬姜にいたっては自分の思い違いに気づくこともなかった。

 

 





 言葉通りに、英卓は何度も湯治場へ戻ってきた。


 父・荘興にしごかれて根をあげたのか。

 湯に浸かってのんびりしたかったのか。

 突然にやってきて、白麗のご機嫌をうかがい萬姜をからかって、そしてまた慌ただしく帰って行った。


 関景と允陶もやってきた。

 こちらはなぜかお互いの悪口を言い合いながらも、決まって二人で来る。

 その時に、彼らとともに千松園の料理人・徐高も来た。

 そして、彩楽堂の主人から布と糸、汪峻から美味しい菓子も頻繁に届いた。


 当然ながら荘興と永但も足繁く見舞いにきた。


 そしてその荘興のはからいで琵琶を携えた紅天楼の春仙も来た。

 そして春仙が来れば、その妹ぶんの春兎もしぶしぶという感じでついてくる。


 しかしながら、一番頻繁にやってきたのは康記だった。

 彼は十五歳ながら、口が上手でその言葉は優しい。

 そして、萬姜への土産とねぎらいの言葉も忘れることはない。

 萬姜が兄の英卓よりも弟の康記に好意を覚えたのは当然だ。


 静かな山里の湯治場だが、けっこう騒がしく時間は過ぎて行き、そして待ちかねていた秋が来た。


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