121 白麗、その意味を知らぬ<恋>に泣く・その2



 怒りに震える萬姜を見ても顔色を変えず英卓は言葉を続けた。


「しかしだな、萬姜。

 この煎じ薬には、血を濃くしてその巡りをよくする効果があるそうだ。

 永先生の言葉通りにその効き目に嘘はない。


  ……、ということは、やはりワンコには飲んでもらうしかないようだな。

 おい、ワンコ、こちらを向け!」


 まるで棒を飲み込んだかのように、少女は寝台の上で硬直していた。

 布団の端を握りしめているその指先は、かすかに震えている。


 言葉の意味はわからなくとも、煎じ薬を飲まないことで、この英卓という若い男に自分も萬姜も責められていることは、その強い語調から理解できる。

 また担がれて、尻を叩かれるかも知れない。


 少女の長い睫毛に涙が溜まっていた。

 今にも頬を伝って流れ落ちそうだ。

 健気ではかなげなく美しい。

 その姿を見れば、地獄の鬼たちでも金棒を取り落し這いつくばることだろう。


……父上も永先生もこの雌鶏も、甘やかしすぎだ。

 おのれの顔の美しさで男をたぶらかすことを知っている女ほど、始末におえないものはない……


 やおら右手を伸ばした英卓は、少女の鼻先を掴んだ。

 そして、力を込めてぎゅっと捻りあげる。

 その痛さに驚いた少女が思わず口を開く。


「どうだ、萬姜、見たか?

 ワンコが口を開いたぞ。

 どうやら薬を飲む気になってくれたようだ。


 そうだな、こうなればもののついでと言うものだ。

 おれが飲ませてやろうではないか。

 湯に入れてもらい、薬も手ずから飲ませてもらえるのだぞ。

 ありがたく思え」


 そう言うと、英卓は萬姜から匙を奪い取った。






 どろどろとした茶色い煎じ薬を満たした匙を白麗の口元に押しつけて、荘英が言った。


「ほら、ワンコ。口を大きく開けろ。

 これが最後の一匙だ」


 男に脅されて、この世のものとは思えぬ不味い煎じ薬を飲み続けた白麗だった。

 しかし最後の一匙というところで、ついにぷいとそっぽを向いた。

 その固く結ばれた口には、今度は鼻を捻られても絶対に開けぬという意思が表れている。


 しかしながら、男の声は楽しそうだ。


「おっ、ワンコが偉そうに逆らうのか。

 これは面白い」


 すっと差し出した匙が、そっぽを向いた少女の頬に当たる。

 その白い頬に濃い茶色の染みがついた。


「おっ、ワンコ。

 すまん、手が滑った」


「ああ、英卓さま、なんということを!」


 萬姜が悲鳴を上げる。


――これは、肌につくと色が落ちにくい。気をつけてお嬢さんに飲ませよ――

 そう但州は言っていた。

 その言葉の通り、彼の指先はいつも茶色く染まっている。


「これはこれは、ブチ犬になってしまったな。

 しかし、白いワンコも可愛いが、ブチのワンコもなかなかに可愛いぞ。

 次はどこを茶色くしてやろうか」


「英卓さま。

 お嬢さまが怯えておられます。

 どうか、今日のところはお引き取りをお願いいたします」

 

 ついに萬姜が平伏した。


「そうか……。

 まあ、慌てることもないな、まだまだ二十日もある。

 萬姜、口直しに、ワンコに甘いものでも食わしてやれ」

 





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