120 白麗、その意味を知らぬ<恋>に泣く・その1



 駄々をこねる小さい子どもをなだめすかすように、白麗に煎じ薬を飲ませ、三度の食事をその口に運んでいる萬姜だった。

 しかしさすがの彼女も最近では、口に入れるものに対して好き嫌いの激しい少女に、無理に薬を飲ませ食事をとらせる方法も、万策尽きたという思いがする。


……言葉というものを理解し喋ることに不自由なお嬢さまは、そのために世間知らずで少々度を越した無邪気さをお持ちだ。

 しかしこれほどの病を得ても、かたくなに薬も食事も拒否するその姿は、筋金の入りの我が儘としか言いようがない……






「どんなにお嫌でも、これだけは飲んでいただきませんと。

 お元気になれませんよ」

 

 萬姜があの手この手で白麗をなだめていた時のこと。

 英卓が案内も請わず、部屋に入ってきた。


 彼は遠慮することなく、白麗の寝台の端に腰を載せた。


 怖ろしい想いをした湯殿でのことを思い出したのか。

 少女の体が緊張でぴくんと跳ね上がり、そのまま硬直する。

 しかし、英卓は上機嫌な声で言った。


「おい、萬姜。

 ワンコのことで、何やら困りごとを抱えているようだな」


 お嬢さまを逆さまに担いで尻を叩き、そのうえにワンコなどと呼ぶ男とは口を利くものかと、萬姜は思う。


 しかし、英卓は荘興の息子だ。

 どれほど気に入らぬ男であっても、使用人として無礼は許されるものではない。

 萬姜は渋々、その口を開いた。


「お嬢さまがお薬を飲んでくださらないので、困っております」


 萬姜が持つ煎じ薬の入った碗の中を覗き込んだ英卓は言う。

 

「永先生の秘伝の煎じ薬とやらは、不味いからなあ。

 おい、萬姜。

 おまえはこの煎じ薬を飲んだことがあるのか?」


「あっ、いいえ、それは……。

 これはお薬ですので。

 私はいたって健康でございますので、飲んだことはありません」


 貴重で高価な薬草を煎じた薬だと、但州から聞かされていた。

 彼女は味見すらしたことがない。


「そうだろうな。

 おれがまだ子どもだった時のことだ。

 性質の悪い流行り病に罹り、長く寝込んだことがあった。

 その時に、これと同じものを飲まされたことがある。


 もう十年以上昔の話だ。


 しかしながら、あの時に知った苦さと不味さだけはいまだに憶えている。

 萬姜、この煎じ薬はそういう代物なのだ。

 そのようなものを日に三度も飲まされるワンコの身になって、おまえは考えたことがあるのか?」


「しかしながら、英卓さま。

 お嬢さまの病を治すためには、どうしても飲んでいただかなければ」


「ああ言えばこう言い返す、こう言えばああ言い返す……。

 萬姜、おまえはぎゃあぎゃあとまことに煩い雌鶏めんどりだな」


「え、え、えいたくさま……。

 め、め、めんどりとおっしゃいましたか?

 いま、この私のことを?」


「そうだ、確かに言ったには違いないが。

 いや、雛鳥ひなどりをイタチから守ろうとして騒ぐ雌鶏も、おまえほどには煩くないかもしれんな。


 それにしても、ワンコに雌鶏か。

 おれが慶央を留守にしている間に、人ではない面白いものを、父上もよくぞ集められたものだ」


 言い返す言葉が思いつかない萬姜の唇は怒りでわなわなと震え、その目は文字通り白に黒にと反転した。





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