115 白麗、英卓に抱かれて湯に浸かる・その7



「安心せよ。

 さすがのおれも、無防備なガキをわざと湯の中には落とさぬ」

 

 英卓の声色に安心したのか。

 それとも薬湯の心地よさに眠気が負けたのか。

 少女の瞼が下がり、金茶色の瞳が隠れた。

 

 ……なんと、わかりやすい根性をしたガキだ……






「英卓よ。

 おまえも嫌がらずに、毎日、この薬湯に浸かるといいのだがな」


 湯船の縁石に腰をかけて手を浸し、湯の熱さを計っていた永但が言った。

 少女の目を覚まさないようにと、英卓も声をひそめて答える。


「永先生の秘伝の薬湯だろう。

 耳にタコができたぞ」


「そんなに嫌うな。傷にはよく効くのだ」


「それはそうと、永先生に訊きたいことがある」


「おう、なんだ。

 このわしに答えられることなら、なんでも答えよう」


「この人の治療を受けて、俺は助かったと聞いている。

 いったいどんな治療だったのだ? 

 これほどに体を壊す治療とは?」


 湯をかき回していた但州の手が止まった。

 思い出すためにしばらく沈黙しなければならないほど、遠い過去のことを訊かれた訳ではない。

 頭の中でせわしなく嘘を組み立てているからだ。


「それがだな、荘英。

 その場にいたものたちにも、よくわからんのだよ」


 但州は言葉を選びながら慎重に答える。


「このお嬢さんは、中華大陸の西の果ての国から何年もかけて、青陵国にたどり着いたという話だ。

 かの国にはこの国に伝わっていない不思議な治療法があるのだろう」


……永先生、俺はもう、慶央を出奔した時の十五歳の子どもではない。

 そのような誤魔化しが通じる訳はないだろう……


 堂鉄や徐平にはすでに訊いてみた。

 しかし、彼らは困った顔をして目を逸らすだけだ。

 荘興と関景の信頼を得ているものから、言わぬと決めたことを聞き出すのは、山を動かすより難しい。


 英卓の沈黙に耐えかねたのか、但州が言葉を続けた。


「なあ、英卓よ。

 このお嬢さんの治療を受けて、おまえは九死に一生を得たのだ。

 難しいことは考えずとも、その結果だけでよしとすればいい」


「それもそうだな、永先生……」

 これ以上は何を訊いても無駄だと知って、英卓は話題を変えた。

「……、俺はいつ、慶央に戻れる?」


「おまえの傷の治りは、人より速い。

 普通なら三か月は養生せねばならぬのだろうが、おまえは一か月でよいように思われる」


「ということは、あと二十日ほどということか。

 早く慶央に戻って、父上の仕事を手伝いたいと考えている」


「それはよい心がけだ。

 その言葉を聞けば、荘興もさぞかし喜ぶことだろう。

 それにしても、おまえが荘本家の仕事に興味を示すようになるとはな」


「そうだろう、永先生。

 自分でも不思議に思っている。

 目覚めて自分が慶央にいると知った時、父上の仕事を手伝いたいと、それが一番に頭の中に浮かんだ。


 それがなぜなのかは、自分にも説明が出来ないが……。

 世の中には説明できないことが、いろいろとあるようだな、永先生」


 英卓は自分が言った言葉を自分で面白がって、くったくなく低く笑った。


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