白麗、その意味を知らぬ<恋>に泣く
109 白麗、英卓に抱かれて湯に浸かる・その1
たった十日間、英卓に治療を施しただけで、白麗は自分の足で立つことも出来ぬほどに衰弱した。だが、彼女の治療を受けた英卓の回復は、周囲のものを驚かせるほどに目覚ましい。
湯治場への道中でもそれは顕著だった。
少女の体に負担をかけぬようにと細心の注意が払われた。
真綿を詰めた布団を何枚も重ねて敷いた馬車に彼女の体を横たえると、一行はゆるゆると歩を進める。
しかし、白麗とは別の馬車に乗せられた英卓は、窓から顔を覗かせると言ったのだ。
「このようにのんびりした道行は、性に合わぬ。
馬だ。久しぶりに馬を駆けたい」
そして、先を行く父・荘興と馬を並べた医師の但州に向かって叫んだ。
「永先生、そもそも、毎日をのんびりと湯に浸かっての治療など、おれに必要なのですか?」
振り返った但州は、苦笑いを浮かべた顔で答えた。
「英卓、おまえが口達者なのはよくわかった。
だが、おまえは十日間も昏睡状態であったうえに、片腕を失っている。
落馬でもしたら、せっかくの助かった命を無駄にすることになる。
堂鉄よ、どうやらおまえの初仕事は、我が儘な主人を馬車の中に閉じ込めておくことのようだな」
堂鉄は英卓の乗った馬車と並んで馬を歩ませていた。
但州に言われて、彼は騒ぐ荘英を睨む。
この大男が自分を軽々と肩に担いで六鹿山を下りたことを、英卓は知っている。
大きなため息を一つ吐くと、英卓は馬車から降りることを諦めた。
しかしゆるゆると進む馬車の中が退屈なのは変わりようがない。
窓から顔を覗かせたまま、彼は堂鉄や徐平を相手に軽口を飛ばし続けた。
時々、男たちの笑い声がどっと起きる。
それを背中で聞きながら、荘興は永但に言った。
「英卓はあのように快活な男であったのか……?」
荘興にとって五年前の我が子は、その胸のうちに不満を隠し持っていた少年だった。常に、父である自分を上目遣いに見上げていた。
「五年の放浪が、彼を成長させたということだろうな。
父親として、彼を子どもとして見る気持ちはわからぬではない。
しかし、彼は二十歳の一人前の男だ」
荘興が答えなかったので、但州は言葉を続けた。
「正直言うと、『自分の失った左腕の替わりは、荘本家にはいくらでもいる』と、英卓が言った時は、その豪胆な物言いに驚いた。
あれほどの怪我を負うと、気鬱の病に捉われるものだが。
英卓の気質はおまえに似ていると関景さんが言うのも頷ける。
彼が戻ってきたのは、天の計らいかも知れぬな」
その言葉に、英卓を手にかけようとした夜のことを荘興は思い出した。
それで馬を白麗の乗った馬車に近づけて、「萬姜、白麗の様子はどうだ?」と声をかけた。
馬車の窓の垂れ幕を上げて、顔を覗かせた萬姜が言った。
「ご安心ください。
お嬢さまは、よく寝ておられます」
こうして荘興たちは二台の馬車と、長い逗留に備えての荷物を山のように積んだ三台の荷車を曳きながら、一日をかけて湯治場に着いたのだ。
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