108 英卓、白麗に助けられてあの世より戻る・その4



「いやいや、興よ。

 蛇というものにはもとから手足などない」


 冗談ともつかぬ言葉で、関景は荘興に答えた。


 話の内容は重い。

 しかしながら、英卓の意識が戻り日々に回復しているので、二人の気持ちは軽い。関景は言葉を続けた。


「英卓が戻って来たことで、康記を操っての荘本家の乗っ取りという園剋の企みも潰えたことだろう。

 しかし、あのままおとなしく引き下がる男ではない」


「まあしかし、しばらく大人しくはしているに違いない。

 一年か、半年か……。

 あのものは人を操る術には長けているが、自分から表立っては行動しない男だ」


「毒蛇はしばらくは巣の中というわけだな。

 どこまでも、卑劣な男だ」


 手足となって動いていたものは殺されたが、園剋は慶央に残ったままだ。

 ずる賢い彼は自身が咎められるような証拠は残していない。

 いや小さな証拠が出てきたところで、姉の李香の健康がすぐれぬ今は、荘興も義弟である彼を表立っては処罰しないと高を括っている。


「これで、英卓もあのお嬢ちゃんも安心して養生に専念できるということだ。

 二人にははやく元気になってもらわねば。

 そうだ、堂鉄と徐平を英卓にくれてやろう。

 失った左腕の替わりでもなんでもよい、自由に使えばよい。

 二人ともよい仕事をする男たちだ」


 

 





 英卓の部屋で気を失った白麗は、丸一日眠り続けて目を覚ました。

 まったく手足の力が抜けて、起き上がることすら出来ない。

 その上に、薬も食事も見れば首を横に振るだけ。


 困り果てた但州は言った。


「我がままもここまで高じると、困ったお嬢さんだとしか言いようがない。

 こうなれば、薬湯に体を浸けるしかないだろう。

 肌から薬を浸透させて、体も温まれば一石二鳥だ。

 荘興、お嬢さんを荘家の湯治場に連れて行きたいが、よいかな?」


 女主人の手を優しくさすり、布団をかけ直してやりと、かいがいしく世話をしていた萬姜が〈湯治場〉という言葉に顔を上げた。


「それは、猿がいるという湯治場でしょうか?」


 萬姜は荘興を睨んだ。


「猿も湯に浸かる」と言って、彼が下心を持って白麗を誘ったことを彼女は知っている。


 今の萬姜の頭の中には女主人の回復のことしかない。

 荘興であろうと誰であろうと、邪魔をするものには噛みつく気でいる。


 睨まれて、身に覚えのある荘興はたじろいだ。

 空咳をしてごまかす。


「猿?

 山間の湯治場だ。

 猿もいれば、鹿も猪もいるとは思うが……」


 二人の様子を怪訝な顔をして見た但州が言葉を続ける。


「そうと決まれば、もちろん、英卓も一緒だ。

 あそこの湯は刀傷にも火傷にもよく効く。

 それから範連もだ。

 あの子はなかなかに賢い子だ」


 萬姜の十歳になる長男の範連の利発さを、但州は気に入っていた。

 荘本家の屋敷に治療に来ると彼は範連に薬箱を持たせて、手伝わせている。


「そうだ、荘興、おまえも一緒に来い。

 園剋のことも片付いたのであろう?

 久しぶりに、湯に浸かってのんびりとしようではないか」


 萬姜が再び、荘興を睨む。




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