103 白麗、瀕死の英卓に治療を施す・その4



 少女の様子に気づかなかった自分は医師失格だと、但州は思った。

 まだ意識は戻らないが、日に日に容態がよくなっていく英卓のことばかりに気を取られていた。

 

「お嬢さんは、少々、口の中が傷ついているようだ。

 味つけが薄く柔らかいものを作らせて、食べさせるといい」


 萬姜にそう言いながら、彼は白麗の左手を取って巻きつけてあった布を外す。

 白い肌の上に何本もの切り傷が並んでいる。


 激しい後悔の念が湧き上がってきた。

 英卓の回復を喜ぶ皆の顔をも思い出す。

 

 しかし、医師として、少女の身に何が起きているのか、荘興にだけは伝えなくてはならない。









 その日の深夜、荘興は英卓の病室に一人で入った。

 その寝顔を見下ろす。

 七日前に戻って来た時とは別人のようなやすらかな寝顔だ。


 但州から聞かされた言葉を、彼は思い出していた。


「英卓の回復は奇跡としか言いようがない。

 あとは意識が戻るのを待つだけだ。

 しかし、自分は医師として、この治療法はお嬢さんの体にはよくないことも言っておかねばならない」


 生まれた時、英卓は玉のように美しく元気な赤ん坊だった。

 長じてからは気難しくはあったが、聡明さはその目の輝きに表れていた。

 しかしまだ若いのに顔の半分に治らぬ火傷やけどを負った。

 そして一本の腕で生きるのは大変であろう。


 彼は脇机の上に置いてあった小刀を手に取った。

 治療のたびに白麗が自分の手を傷つけている刃物だ。

 知ってしまった以上、彼女に治療を続けさせるつもりはない。


 英卓の喉をく……。


 まさに手を下そうとした時、彼の手に冷たいものが触れた。

 氷を押し当てられたような冷たさだ。

 思わず小刀をとり落とす。


 白く細い手が彼の手に重ねられている。

 その顔を見なくても、この白く冷たい手の持ち主が誰であるか、彼にはわかった。


 彼は少女の両手をとると、自分の手の中に包み込んだ。

 そして、何事もなかったような優しい声で目の前に立っている少女に言った。


「このような夜中に、どうしたのだ?

 萬姜はどこにいる?

 手がこのように冷たくなっているではないか」


 白麗はうつむいて小首を傾げた。

 人の言葉を理解しようと考えている時の彼女の癖だ。

 やがて、少女は顔をあげるとにっこりと笑った。

 荘興の言葉は理解したようだが、返す言葉は思いつかなかったようだ。


「笑っている場合ではないと思うぞ。

 但州から聞いている。

 おまえの施す治療は、おまえの体に害を及ぼすと」


 再び少女は笑った。


 英卓の容態が落ち着いて、屋敷のものたちも平穏を取り戻している。

 今までの気疲れで、皆、泥のように眠りこけているのだろう。


 目覚めているものが自分と少女だけであることに、荘興はこれも天の計らいかと思った。子を殺めたい親などいる訳がない。


 静かに身をかがめて小刀を拾い、彼は元の場所に戻した。

 

「部屋まで送ろう。

 目覚めた萬姜が大騒ぎをしていたら、大変だ」




 


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