102 白麗、瀕死の英卓に治療を施す・その3



 

 少女は片肘で自分の傾けた体を支えると、もう一つの片手を荘英の顔に添えた。

 そして、彼の口に自分の口を重ねる。

 その様子を見ていた永但は思った。


……口移しで、煎じ薬を飲ませようとしているのか。

 苦痛であのように歯を食いしばっていては、所詮、無理な試みだ……


 しかし少女はどのような方法で、食いしばった歯をこじ開けることが出来たのか。かすかに英卓の喉仏が動いた。


 同時に、今まで死人のように投げ出されていた彼の右手がぴくりと動いた。

 永但が声に出して驚き、荘興が訊ねる。


「おっ!」

「何が起きた?」


 英卓の右手がバネ仕掛けの機械のように跳ね上がる。

 そして、自分の顔に覆いかぶさっていた少女の真白い髪を掴んだ。

 血と泥に汚れた大きな手が、少女の短い髪を引き抜かんばかりに握りしめた。


「おおうっ!」


 周りを取り囲んでいたものたちがどよめいて、一歩、詰め寄った。

 白麗の髪をしっかりと掴んだ英卓の手が、まるでこの世からあの世に垂らされた命綱を力の限りに握りしめたかのように、彼らには見えたのだ。


 白麗一人が自分の髪を掴んだ手に驚くこともなく、口に含んだ煎じ薬を荘英に与え続けている。

 与え終ると、髪を掴んでいた荘英の手をほどき、また碗の薬を口に含む。

 その光景が五度繰り返されて、碗の中の煎じ薬はなくなった。


 そして次は、水を張った手桶の上に白く細い手を差し出すと、片手に持った治療用の小さな刃物で、その手の内側を切った。


 ぽたぽたと鮮血が水の中に落ちる。

 血が止まったところで、手巾をその水に浸す。


 薄赤色に染まった濡れた手巾で、少女は英卓の顔と体の傷を拭き始めた。

 見たことのない不思議な治療に見入っていた但州だったが、そこでやっと我に返った。


「お嬢さん、ここからはわしが代わろう。

 その布で、英卓の傷を拭けばよいのだな」


 荘興も言った。

「萬姜、白麗を部屋に連れ帰って、休ませよ」


 部屋から出て行く時、少女は口元を着物の袖端でそっとぬぐった。

 口の中から溢れた出た血で、着物が赤く染まる。

 しかし、死人のようだった英卓の顔色に生気が戻って来たことに気をとられて、誰もそのことには気づかなかった。






 そのような少女の治療が朝夕の二回繰り返された。

 七日目の朝のこと。


 朝の治療を施し終えた女主人を部屋に連れ戻したあと、心配顔の萬姜が戻ってきて、但州に言った。


「最近、お嬢さまがとてもお疲れのご様子なのです。

 それにお食事も召し上がられなくなりました。

 永先生にご相談したほうがよいかと……」


 その言葉に彼は急いで少女の部屋にやってきた。

 そして寝台に座っている彼女を見て、今更ながらにその白い顔に血の気がないことに気がついた。

 色の白い少女なので、気づかなかったのだ。

 

「口を開けて、このわしに見せなさい」


 白麗の顎に手をかけて彼は言った。

 初めはかたくなに拒んでいた少女だが、医師の気迫に負けてしぶしぶと口を開ける。


 少女の口の中には血の滲んだいくつもの噛み傷がある。

 自らの口の中を噛んで溢れ出た血を、煎じ薬に混ぜていたのだと但州は悟った。





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