091 萬姜、嵐の夜に鬼子母神となる・その3
燭台のすべてに灯が入れられて、荘興の寝所は昼間のように明るい。
大きな火鉢には、熾った炭が山のように盛られている。
散らかったもの倒れたものは、手際よく片づけられた。
大捕物を終えた男たちは出て行った。
彼らは今頃、錯乱した少女に引っ掻かれたり噛みつかれたりした傷の手当をしていることだろう。
萬姜はかしこまって座っていた。
しかしながら、膝の上に揃えておいた手の指先がかすかに震えている。
雷鳴のせいなのか、濡れて冷たくなった着物のせいなのか、緊張のせいなのか。
彼女にもわからなかった。
時おり、濡れて乱れた髪からぽたりと水滴が落ちてきた。
横に並んで座っている允陶を、萬姜はそっと盗み見た。
彼の着物も濡れて色が変わっていた。
しかし膝の上におかれたその手は、彼女と違って微動だにしない。
垂れ幕で仕切られた隣の部屋からは、少女の嗚咽とそれをなだめる荘興の声が漏れ聞こえてくる。
外では、雷鳴が少しずつ遠ざかっていく。
それにつれて吹き荒れていた風も静かになっていた。
夜具で
荘興も少女を抱くように横たっていた。
簀巻き状態となった少女は、手足を振り回すことは出来ない。
それでも雷鳴が轟くたびに、叫び声だか泣き声だかわからぬ声を張り上げ、芋虫のように体をくねらせる。
幼子をあやすように、荘興は少女の真白い髪を優しく撫でながら言った。
「このようにがんじがらめに縛られては、さぞ、苦しいだろう?
暴れないと約束すれば、戒めを緩めてやってもよいが」
言い含めるように耳元で何度目かにそう囁いた時、やっとその言葉が通じたのか。少女はしゃくりあげながらも大きく頷いた。
その体の自由を奪っていた紐の一本を解く。
やっと自由になった両腕で、少女は男の首に齧りついてきた。
押しつけられてきたその体は濡れていて、燃えるように熱い。
薄い寝衣の下から伝わる鼓動は早鐘のようだ。
「ソ・ウ・コ・ウ! ソ・ウ・コ・ウ!」
その言葉しか言えない少女の叫びは悲痛だ。
深い井戸に落ちたものが一本の紐にすがるさまに似て、荘興は哀れを覚えた。
春の始まりの雷鳴轟く嵐は、慶央では毎年のこと。
ここで生まれ育ったものは、恐ろしくてもやり過ごす術は身についている。
大人になれば、慶央街中に落ちた雷の数で作物の豊作を占うこともする。
白麗が幼子のごとく雷嫌いと知っていれば、気をつけていたものを。
……遠い昔に、雷鳴に驚いた少女は天から落ちたのか。
この天衣無縫ぶりを、天帝も持て余されたか……
と考えて、その馬鹿らしい考えを荘興は頭を振って追い払った。
何を考えようがどう悔やもうが、隣の部屋で息を潜めている萬姜の想いと同じく、すべてはあとの祭りだ。
さすがに暴れ過ぎて、生も根も疲れ果てたのか。
荘興の胸の中で、少女の嗚咽が寝息へと変わる。
……明日の朝になれば、今夜の騒ぎなど、覚えていないのだろう。
そうだ、濡れた体のままでは風邪をひく。
着替えさせなければ……
寝台の横の卓の上には、少女の乾いた新しい寝衣が置かれてあった。
部屋が片づけられている間に、萬姜が急ぎ戻って用意したものだ。
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