087 園剋、口の中に毒蛇の牙を隠し持つ・その8
琵琶の名手の春仙は、愛用の琵琶を片時も傍に置いている。
客からの所望ががあれば、もったいぶることなくその撥さばきを披露した。
しかし今日は違う。
荘興が寵愛する少女の披露目であり、その少女は妙なる音色で笛を吹くという。
妓女である身の持つ琵琶が目立ってはならない。
支度にと貸し出された部屋の隅に隠すように置いてきた。
頭で考えるよりも先に、春兎の口が動いた。
「春仙お姐さま。
部屋に戻って、あたしが琵琶を持ってきます」
「春兎、なんという出しゃばったことを。
すぐさま、荘興さまと白麗お嬢さまにお詫び申し上げるのです」
「春仙お姐さまの琵琶の音は、この慶央一、いえ、青陵国一ではありませんか。
その音に敵うものなど、誰一人としていない。
どうして遠慮なさるのですか」
しかしそれでもかろうじて、「こんな髪の白い女の吹く笛と比べられるなんて、あたしは悔しくてなりません」という言葉は、さすがの春兎も飲み込んだ。
目の前に立つ少女を、春兎は睨みつけた。
……春仙お姐さまの荘興さまへの献身ぶりは、このあたしが一番よく知っている。
それなのに、どこで買われてきたか拾われてきたかわからぬ子どものような女に、荘興さまの寵愛を奪われるとは。
許せない、絶対に許せない……
そして、春兎にはもう一つ許せないことがあった。
隣に座っている康記が、先ほどより、腑抜けたように少女に見入っている。
肩を揺すろうがその手を叩こうが、彼の視線は春兎に戻ることはない。
勝ち気な春兎とにとって、それは耐え難い苦痛だ。
……この女に恥をかかせてやる。
老婆のように髪が真っ白で言葉も喋れないなんて。
人ではない、化け物だわ……
近頃の園剋は、宗主に平然と盾突く。
困惑した皆の視線が荘興に向けられた。
しかし、顔色の一つも変えることなく荘興が言った。
「園剋、そうであったな。
春仙の琵琶もなかなかにたいしたものだ。
どうやら、白麗も笛を吹く気になったようだ。
春兎、春仙の琵琶を持ってこい。
允陶、二人のための座を用意せよ」
緊迫したこの場の雰囲気がわかっているのか、わかっていないのか。
白麗一人が嬉しそうに春仙を見つめていた。
蒼白になって床に頭をつけている春仙を、彼女はなぜか気に入ったようだ。
……これは面白いことになってきた。
小石を一つ投げ込んでみたら、思わぬ大きな波紋となった……
白麗の笛と春仙の琵琶の合奏を望んでいながら、その実、歌舞音曲の類いに心が酔う人の気持ちを園剋はまったく理解できない。
小川のせせらぎ・虫の音・風の音といったものにも、彼は心を揺さぶられなかった。自分には喜怒哀楽の感情がないと知ったのは、何歳の時だったか。
人の心を持たない彼の関心ごとは、興味をそそられるものだけに向けられる。
興味をそそられたものを追いつめる執念深さは、まさに<毒蛇>だ。
追い詰めたら巻きついて締め上げて、噛みついて毒を注ぎ込む。
苦しみ悶え命を落とすまで、その姿をゆっくりと眺めていたい。
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