086 園剋、口の中に毒蛇の牙を隠し持つ・その7
確かに美しい着物ではあるけれど……と、少女は乏しい記憶の中で言葉を集めて思った。しかしこのようにずるずると袖も裾も長いと、縁の下の猫を追いかけることも出来ず、竹竿で池の鯉をつついて遊ぶことも出来ない。
それでも我慢が出来たのは、着物を一枚重ねるたびに、萬姜と梨佳と嬉児が「可愛い!」「きれい!」と誉めそやしたからだ。
きれいな着物を着れば、何か新しい遊びが始まるものだとばかりに思っていた。
それがこのようにむさ苦しい男たちの前に引き出されて、笛を吹けとは。
地団駄踏んで、着物を剥ぎ取って脱ぎ捨てたい。
爆発寸前の癇癪をかろうじて我慢できるのは、彼女が動くたびに乱れる裾を直している嬉児の健気さであり、荘興の優しい声だ。
それでも
笛を持つ手が宙で止まり、再び下ろされた。
「これは困ったことだ。
どうやら、気分が乗らぬようだな。
そうとなれば、しかたがない。
重ね重ね、わしから客人たちに謝るとしよう」
荘興は笑いながら言う。
「白麗、下がりなさい。
嬉児と絵でも描いて遊ぶか。
そうであった、客人の土産の中に美味そうな菓子があったと聞く。
嬉児とともに食べるか」
その言葉の中に、不遜で強情な少女の機嫌を一瞬で直すものがあったようだ。
花の蕾がほころぶような笑みが少女の顔に浮かぶ。
その美しい笑顔に、再び呆けた目が集まった。
皆の口は半開きであったとしても、その口から言葉を発して、少女の不作法を指摘しようなどというものはいない。
……まさに允陶さまが言われた通りの運び……
柱の陰で萬姜は安堵のため息を吐く。
そして、荘興の後ろで畏まっている允陶をうかがった。
生まれる時に母親の胎内に笑うことを忘れてきたと言われている允陶が、かすかに笑っている。
戻るべく、少女は長い裾を優雅にひるがえした。
「待て、白麗!」
ひときわ甲高い声で園剋が言った。
「義兄上。
姉の李香さまが心を込めて用意した、この日のための白麗の着物。
このまま退場とは、あまりにもあっけない。
本宅で待っておられる李香さまに報告のしようもないではないか。
白麗が笛を吹きたくないのは、一人で吹いても面白くないからであろう。
幸いにしてそこの妓女・春仙の琵琶も天下一品と聞いている。
ぜひに、二人の合奏を聴かせてもらいたいものだ。
ご同席の皆々もそう思われるであろう?」
正妻・李香の名前を出したうえで、長年の荘興の愛妾と少女を醜く競わせる。
毒蛇の異名を持つ園剋の考えつきそうなことだ。
白麗が立ち止まり振り返った。
春仙とは何者であろうかと、不思議そうな顔をして座を見渡す。
義弟という立場であれ、宗主を愚弄するにもほどがあると、血気盛んな若いものが片膝を立てて立ち上がろうとした。
不穏な空気を察して、春仙が言った。
「お嬢さまの笛に、卑賎なあたしの琵琶を弾き合わせよとは。
園剋さま、それだけは、平にご容赦くださいませ」
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