085 園剋、口の中に毒蛇の牙を隠し持つ・その6



 しかしながら、座敷の中ほどまで歩み出て、髪の真白い少女は立ち止まった。

 何やら困惑し戸惑った様子だ。

 そしてまた、微かな怒りもあるのか?


 萬姜の言葉で、自分の吹く笛の音を聴きたいものがいるとは理解できた。

 しかし、このように大勢の男たちが集まった仰々しい場だったとは……。


 顎をつんと上げたまま、少女はゆっくりとこうべをめぐらして大広間を見回す。


 客人に対して平伏する気も、名乗り挨拶をする気もないらしい。

 座を睨んだそのさまは、睥睨へいげいといってもよいものだ。


 少女が立ち止まったので、着物の裾を掲げ持って従っていた嬉児も立ち止まる。

 緊張した面持ちの六歳の子の着物は、紅い梅の花の色。

 母親の萬姜に教えられたとおりに、幼い手つきで白麗の若草色の着物の長い裾の乱れをかいがいしく直し始める。


 少女の目鼻立ち整った顔が化粧によってよりいっそう陰影が深まり、困惑と戸惑いと怒りさえ美しさに変えていた。


 梅見の宴の席に、梅の木の精霊が人の姿を借りて降りたったかのようだ。

 

 





 ガタリと大きな音がした。


 春兎が康記の手の中の盃を叩き落とした。

 白麗の美しさに見とれて、康記は春兎が酒を注いだ盃を口に運んだまま、手が止まっていた。自分以外の女を呆けて見つめている男に、春兎は抑えきれない嫉妬に駆られた。

 

 目に余る弟と春兎の振る舞いに、細やかな気を遣う健敬が父の荘興よりも先に声をあげた。


「なんという無様なことを!

 康記、すぐさま、父上に謝罪せよ」


 荘興の横に侍っていた春仙もまた、すぐさま平伏して言った。


「春兎の不作法は、あたしの躾がいたらぬため。

 荘興さま、お願いでございます。

 春兎ではなく、このあたしを罰してください」


 康記同様に呆けて少女の美しさに見とれていたものたちの間に、緊張が走る。

 しかし園剋一人だけが、荘家親子の面白い見世物が始まったとばかりに、その先が割れているとの噂がある赤い舌の先で、ちろりと唇を舐めた。


 しかし、荘興の声は穏やかだった。


「よいのだ、健敬。気を遣うな。

 康記はまだ十三歳だ。

 春兎は幾つであったか? 康記より、わずかに年かさであったはず。

 二人とも、このような席に不慣れなだけに違いない」


 座を重たくしていた緊張が一気にほぐれる。

 荘興の機嫌のよい声は続いた。


「不作法といえば、見ての通り、このものの不作法もなかなかのもの。

 知っているものもいると思うが、白麗は言葉が不自由だ。

 ゆえに、行儀作法を教えることも出来ぬ。

 もし不快に思うものあれば、この荘興より詫びる」


 年端もいかぬ少女の不作法を、荘本家三千人の宗主が代わりに詫びるとは。

 この少女を娶ってのち隠居するという噂は本当なのか。

 そうなれば、荘本家の跡目は誰が継ぐのか……。

 

 しかし荘興は皆の思惑などどこ吹く風の顔だ。

 少女の持つ笛を見て、それからゆっくりとその視線を少女の顔に移し、優しく言った。


「白麗、皆がおまえの吹く笛の音を所望しているが。

 どうだ、吹いてみるか?」

 



 


 

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