088 園剋、口の中に毒蛇の牙を隠し持つ・その9



 春兎が持ってきた琵琶を手にして、春仙は白麗を座敷の広縁へと誘った。

 そこにはすでに允陶の指示で緋毛氈が敷き詰められている。

 

 緋毛氈の上に少女はすっくと立つと愛笛の<朱焔>を構えた。

 座った春仙は片膝を琵琶を抱く。

 彼女は少女を見上げて言った。


「お嬢さまの吹く笛は即興と聞いております。

 先に何節か奏でられましたら、私も琵琶で弾き合わせてまいりましょう」


 少女が頷く。

 梅の香を含んだまだ冷たい早春の風に、真白い髪がさらさらと揺れた。







 初めはあたりの空気を震わすかのように、ゆったりと流れ始めた白麗の笛の音だった。それに合わせて、時々、春仙の琵琶がベンベンと鳴り響く。

 

 しかし、白麗も春仙もその道の名手。

 

 笛の音が速く激しくなると、春仙の撥さばきも激しさを増す。

 笛の音を琵琶の音は追い、そして琵琶の音を笛の音が追う。


 二人の心の臓の鼓動が重なるように、異なる二つの楽器の音が重なりあう。


 その激しさは、岩場に繰り返し押し寄せては砕け散る波頭。

 その優しさは、愛し合う男女の押して引く情愛。

 その懐かしさは、戯れる幼い子らの嬌声。


 少女の笛の音を初めて聴くものたちの頬を涙が伝う。







……なんとまあ、揃いも揃って。

 呆けた面々つらづらが並んでいることよ……


白麗の笛と春仙の琵琶の音に心を奪われているものたちの顔を見渡して、園剋は思った。

しかし、心の中で悪態をついてはみたものの苛立ちは消えない。

新たに注がれた盃の酒を、彼は一息に飲み干した。


……美しいだけの小娘だと思っていたが。


 この手の内をするりするりとかわしていると思えるのは、思い過ごしなのか? 

 着物にかこつけて彩楽堂を潰してやろうと企てたが、今回は、どうやらそこから躓いたようだ……


 白麗と春仙の息の合った演奏が終わった。

 周りのものたちが感極まって手を叩くので、彼も手を叩いた。

 そして手招きして言った。


「白麗、期待を裏切らぬみごとな笛の音であった。

 こちらに来られよ。

 まずは一杯、献上しよう」


 その言葉に、白麗はすたすたと男の前まで来た。

 しかし座ることなく、金茶色の目でひたと見つめ男を見下ろす。


「どうした、白麗。

 酒は好きであろう?

 義兄上と、毎夜、楽しんでいると聞き及んでいるが……」


 その言葉を最後まで聞くことなく、少女は着物の裾をひらりと翻した。

 園剋もすかさず手を伸ばす。

 しかし若草色の着物の長い裾は、するりと彼の手をすり抜けた。


「これはこれは、義兄上。

 どうやらおれは、美しいお嬢さんに嫌われたようだ」


 荘興が答える。


「言葉が不自由なうえでの不作法だ。

 園剋、許してやってくれ。


 白麗、いつもながらのみごとな笛の音だった。

 慣れぬ席で、疲れたであろう? 

 下がってよいぞ。


 春仙もまた、素晴らしい琵琶の音であった。

 あとで、褒美をとらすこととしよう」


 春仙もまた答えた。


「もったいないお言葉にございます。

 あたしはただただお嬢さまの笛の音に助けられただけにございます」


 允陶が庭に向かって合図を送った。

 平伏していた妓女たちが立ち上がり舞い始める。


 そしてこの日より時々、少女の笛と春仙の琵琶の音が屋敷より漏れ聞こえるようになった。





 

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