082 園剋、口の中に毒蛇の牙を隠し持つ・その3
「春仙、返杯を受けよ」
目の前に差し出された盃に、春仙は我に返った。
妓女としての務めを忘れていたことに、彼女はうろたえ恥じらう。
しかし荘興はそのことを責めることなく続けて言った。
「お互いに、若いものには苦労をするな」
彼の目も、傍目も気にせず体を寄せ合って戯れている康記と春兎を見つめている。
「あたしの躾が行き届きませず、荘興さまにはさぞご不快な思いでございましょう。
申し訳ございません」
「春仙、何を言う。
康記と春兎のことは、おまえの
春仙の手に収まった盃に酒を満たしながら、荘興が答えた。
昨年の夏。
康記の十三歳の祝いに、叔父の園剋は彼に馬と女を贈った。
馬は若い牡で、その名を<黒輝>といった。
艶やかで真っ黒な毛並みも素晴らしいが、その体格のよさは格別に人の目を引く。
荘興が求めようとしたものを、園剋が横から手を出して掠め取った。
「あの馬は、康記にはまだ早かろう」
さすがに荘興も言った。
しかし、「将来、荘本家を背負って立つ若い康記にこそふさわしい。姉もそのように言っている」と、李香の名を出されては引き下がるしかない。
まだ妓女見習いの春兎を康記にあてがったのも、園剋だ。
こちらは、園剋に思いとどまるようにと、春仙が伏して懇願した。
「あの子は、まだ十五歳。
妓女として、まだまだ未熟者でございます。
年嵩の殿方のもとで、しばらくは可愛がられながら、世の中のことを知っていくのが大切かと」
しかし、こちらも園剋は無視した。
荘興の馴染である春仙の妹分を康記に与えることが、毒蛇・園剋のたくらみであったからだ。
園剋に撥ねつけられた春仙の心配は的中しつつある。
生まれながらに美貌に恵まれて勝ち気で世間知らずな春兎は、降って湧いたような幸運に自分の立場を見失っている。
自分が荘興の寵愛を長く得ることが出来ているのは、妓女としての日々に積み重ねる研鑽と日々に新たにする覚悟があるからだ。
しかしながら春仙が諭そうとも、春兎は聞く耳を持たない。
十三歳の我が儘に育てられた荘本家御曹司の康記にとって、どのように美しかろうが請われれば他の男と寝る妓女など、いっときの楽しい遊び相手でしかないのだ。
男の移り気など、掃いて捨てるほどに見てきた。
大きな口を開けた悲劇が待ち構えていなければよいがと、祈るしかない。
「もったいないお言葉にございます」
芽生えた不安を心の奥底に押しやり、荘興が酒を満たした盃を掲げ持って春仙は言った。そして、横を向いて口元を隠しつつ優雅な仕草で呑み干す。
「おいしゅうございました。
荘興さま、盃をお返しいたします」
しかし、春仙の手をそっと押し戻した荘興が言った。
「春仙、遠慮はいらぬ。
もう一献、呑むがよい」
再び、盃に酒を受けながら春仙は思った。
……今日の荘興さまは、酔われたくないご様子。
白麗さまのお披露目を、酒席の戯言とならぬように気を遣っていらっしゃる……
美しいという噂は聞き及んではいるが、髪の真白く言葉の不自由な少女とは、どうのような少女であるのか。
好奇心とともに諦観もまた彼女の胸内に広がった。
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