079 荘興、喜蝶の名前を白麗と改める・その8



「六鹿山は懐の深い山だ。

 銅の鉱脈は無尽に走っているうえに、公掘・私掘・盗掘は数知れず。

 その中を、傭兵は雇い主の言うままに移動している。

 そして、この冬の六鹿山はことのほかに雪が深いとか。

 英卓を見つけだすのは、ここで思うほどにたやすいことではない」


 そのようなありきたりの説明で納得が出来るものかと、但州は再び不満げに鼻を鳴らす。彼は声をひそめて言った。


「すでに、園剋の邪魔が入っていると聞く」


「これは荘本家の問題だ。

 おまえが首を突っ込むことではない」


 しかし、但州の耳には荘興の忠告は入らなかったようだ。


「先日、李香さんの治療に本宅に行った時、英卓のことで園剋のやつがカマをかけてきた。

 英卓の居場所について、荘本家ではどれほど知っているのかと。

 それで、そのようなことをいまなぜに訊くと問い返すと、

『英卓も二十歳となったはず。異邦の空の下で、どのような若者になっているのかと、気になった』

 と、あいつにしては珍しく焦りを含んだ言葉を返してきた」


 荘興のますます険しくなる顔つきを、但州は無視する。


「わしも医師の端くれだ。

 顔色で、病人の胸の内を察するのは仕事の内だからな。

 建前と本音を見分けるのには、自信がある。


 李香さんの命が尽きれば、我が物顔で振舞っている園剋とて、慶央に居座る大義名分は無くなるも同然。

 かといって、いまさら泗水に帰ることは出来ないだろう。

 泗水でも爪弾きものに違いないからな。

 あいつの慶央で生き残る方法は、荘本家を康記に継がせてその後ろ盾になることしかない。


 それで、李香さんの治療の場では、ついつい本音が顔を出す」

 

「おまえにいつ、間者の真似事をせよと頼んだ?」


 その言葉に、但州の顔が引き締まる。


「確かに、何も頼まれてはいないな……。

 しかし、おまえと三十年付き合ってきた。

 いまさら危険だからといって、わしひとりを蚊帳の外に放り出してくれと、わしも頼んだ覚えはない」

 

 荘興は返す言葉を失った。

 にやりと笑った但州が言葉を続ける。


「荘本家の宗主ともあろうものが、そのようなしけた面でどうする?

 そもそもだな、孫ほどの齢のお嬢さんを妻にするなど考えて、あれやこれやと手を出そうとするのが、間違っているのだ。

 若返るどころか、ますます老けるぞ……。


 おい、今夜は久しぶりに紅天楼に二人して繰り出さぬか?

 この前に登楼した時、春仙が寂しがっていたぞ。


 手の届かぬお嬢さんのことなど、この際、忘れてしまえ。

 これは、医師としての助言だ」


 紅天楼とはこの慶央でその華やかさにおいて一番といわれている妓楼。

 春仙はそこでの荘興の馴染みの妓女だ。


「この生臭医師が……」


「おいおい、生臭とは坊主に使う言葉だ。

 医師のわしに関係ない」

 

 名残り惜しそうに茶碗の底に残った茶を飲み干すと、腰を浮かしながら但州は言った。


「そうと決まれば話は早い。

 今夜の軍資金がいるな。

 どれ、允陶に、お嬢さんの治療代を請求してこよう。

 あの男のことだ、お嬢さんにかかる金子のことでケチることはなかろう」









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