064 喜蝶と萬姜母子、慶央の街を歩く・その1
四つん這いになった萬姜は喜蝶の寝台の下を覗いた。
着替えの時間となると、少女は寝台の下に潜って、洗濯場の物干しから盗ってきたという下働きの着物を出してくる。
それで、寝台の下はどうなっているのだろうと、気になっていたのだ。
覗いた萬姜はおもわず心の中で呟いた。
……あらまあ、こんなに溜め込まれて……
盗ってきた下働きのものたちの着物はもちろんのこと、草鞋や編み笠の類もあるし、竹籠や木切れやボロ布もある。
……子ども達も、お気に入りの玩具をこうやってあちこちに隠していたものだったわ。特に、男の子である範連は、……
頭を振った萬姜は懐かしい思い出を頭から消し去った。
……いえいえ、お嬢さまは、玩具を隠しているのではないのだわ。
言葉が不自由でご自分の想いを人に伝えられないから、こうして、いつか必要になるかもしれないものを、ご自分で集めて溜めていらっしゃる。
お可哀想に……
じわっと溢れてきた涙を、萬姜は着物の袖口で拭った。
涙もろい性質ではなかったのに。
泣いている暇などあれば、忙しく体を動かしていたほうがよっぽどましと、いつもそう思っていたのに。
優しい両親と頼りがいのあった夫をいっぺんに亡くしてしまったこの一年で、涙腺がもろくなってしまっている。
「よいしょっ」
今度は声に出して呟いて、萬姜は立ち上がった。
自分の声に元気をもらう。
そしてついてもいない埃をはらうために、着物の両膝を叩いた。
……いつまでもお嬢さまに盗ってきた着物を着させるわけにはいかないでしょう、お姜さん。
允陶さまにお願いして、お嬢さまの着物に鋏を入れるお許しを戴かなくては。
それから、針と糸も手に入れなくては……
喜蝶さまのお着物に鋏を入れ仕立て直したいという萬姜の申し出に、少し考えて允陶は答えた。
「自分には、女の着物ことはわからぬが。
まあ、よいのではないか。
どうせ、喜蝶さまに着てもらえない着物ばかりだからな」
そこまで言って、允陶はかすかに笑った。
呉服商<彩楽堂>の主人の言葉、「お嬢さまに喜んで着ていただける着物を納める日まで、お代はいただきません」を思い出したからだ。
「針と糸については、洗濯場の女に頼んでみるとよかろう。
あそこでは、洗い上げた着物を繕うことも仕事の内だ」
「しかし、允陶さま。
いつまでも借りるという訳にもまいりませんので、街に買い物に行きたく思います」
「ああ、それはよいだろう」
「そのことにつきましてですが……。
よろしければ、喜蝶さまもご一緒にと思います。
鬼子母神で、縁日の屋台を、喜蝶さまは楽しそうに眺めておられました。
お屋敷の外を歩かれるのも、またよいことかと思われます」
そして、萬姜は慌てて頭を下げた。
「差し出がましいことを申し上げたのであれば、どうかお許しください」
再び、しばらく考えたのち、允陶は答えた。
「その件については、この場では即答は出来ない。
宗主のご意向を伺ってみることにしよう」
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