058 萬姜、喜蝶部屋付きの下女となる・2


「お嬢さま、おはようございます。

 萬姜でございます。

 昨日は、鬼子母神の縁日で、わたくしども母子四人を……」


 允陶の後ろについて、少女の部屋を訪れた萬姜だった。

 入口で平伏して口上を述べならが顔を上げて、目の前の光景に思わず口を閉じる。

 そして、「あら、まあ!」と、彼女は声をあげた。


 それは美しく整えられた家具調度品への賛嘆の声でもあり、何枚も床に無造作に広げられた美しい着物への称賛でもあった。

 また、その着物を踏みつけて立つ、少女の姿への驚きの声でもあった。


 真白い髪を散切りにした少女はまだ寝衣のままだ。

 だが、その華奢な肩は怒りでこわばっていた。

 顎をつんとあげてぷいとそむけた顔は、誰の言葉も聞き入れぬという固い決意に満ちている。


 二人の下女たちは、青い顔をして部屋の隅で縮こまっていた。

 自分たちの何が少女の怒りを買ったのか、彼女たちは理解できていない。


 その様子に、萬姜は独り言ちした。

……お困りの允陶さまに、思わず安請け合いをしてしまったけれど。

 この有り様は、私一人で解決出来るものではないような……


 しかし、助け舟は、彼女の背後にいた。


「喜蝶おねえちゃん、お庭で遊ぼうよ!」


 その声に、今まで不機嫌はどこへやら、喜びに顔を輝かせた少女が振り返る。

 同時に嬉児が飛び出して、少女の腰に抱きついた。


 萬姜は立ち上がった。

 三人の子どもを育てている彼女は、いま言うべき言葉を知っている。


「お嬢さま、嬉児と楽しく遊ぶのは、着替えと朝食を済ませてからにいたしましょう」


 そして、床に散乱している着物を見下ろして言葉を続ける。

「今日は、どのお着物をお召しになられますか?」






 萬姜の言葉に大きく頷いた少女は、奥の部屋に駆けこんだ。

 そして、寝台の下に潜り、隠していた着物を取り出す。


 それは、昨日、鬼子母神の縁日で着ていたのと同じ、下働きのものたちが着ているものだ。洗濯場の物干しから盗ってきては寝台の下に溜め込んでいると、萬姜が知ったのはその後のことだが。

 

「お嬢さまは、こういうお着物がお好きなのですね。

 ええ、袖も裾も短くて、動きやすいお着物だと、わたくしも思います」


 その言葉に、再び大きく頷く少女に、萬姜は言葉を続けた。

「でも、着替える前に、御髪も少し整えたほうがよいようですね。

 揃えて切ってさしあげましょう」


 そして、允陶に向き直ると言った。

「允陶さま、お嬢さまのことは、わたくしどもにお任せください。

 それでは、お嬢さまはお着替えをなされますので……」


 萬姜の手際のよさに驚き、そして土砂降りから一転して晴れ渡った空模様のように変化した美しい少女の顔に見とれていた允陶は、萬姜の言葉で我に返った。


「おお、そうであった。

 あとは、よろしくお願いするとしよう」

 そして、部屋の隅にいる下女に言う。

「そこの役立たずの二人は、任を解くゆえに、元の持ち場にもどってよい」


 安堵した女たちの青い顔に血の気が戻る。

 二人は逃げる兎さながらに、部屋から素早く出て行った。






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