056 「無理強いはせぬが……」と、荘興は言う・5


 荘興は少女の部屋の戸を開けた。


 入口近くに、下女が二人、向かい合って座っている。

 允陶に追い出された貞珂の二の舞は許されない。

 奧の部屋との仕切りである垂れ幕が上がって、女主人が出てくるようなことでもあれば、二人して飛びかかるつもりだ。


「喜蝶さまと話がある。

 おまえたちは下がっておれ」


 平伏した女の一人が、しばしの解放に、長い長い安堵のため息を漏らした。




 


「喜蝶さま。今日のこと、少しは省みられたか?」


 少女の横たわる寝台の端に腰をかけ、脇の卓上に手燭を置くと荘興は言った。

 少女が起きているのは、部屋に入った時に褥が動いたのでわかっている。


 小さな抵抗にあいながらも掛布を引き下ろす。

 少女は顔をそむけたままだ。


「なんとまあ、これは、ネズミが齧ったような頭だ。

 みごとな散切りではないか。

 なんとかせねばならぬが……。

 允陶を怖れて、誰も、喜蝶さまには手出しが出来ぬか」


 かすかに声にして笑うと、荘興は少女の髪を撫でた。

 湯浴み後のまだ乾ききらぬ真白い短い髪は、温かな湿り気を帯び、さらさらと男の指の間を滑り落ちる。


「今日、貞珂という下女は、荘本家での仕事を失った。

 貞珂には、養わねばならぬ家族がいたようだが、しかたがない。

 青善屋の呆けた年寄りは、問答無用に、頭から冷たい水を浴びせられた。

 喜蝶さまが与えた酒を、昼間から飲んだせいだ。

 これもしかたがない。

 今日一日、屋敷のものたちは、喜蝶さまを探して右往左往した。

 これもしかたがない」


 身を固くしてぷいと横を向いていた少女の頭が少し揺れる。

 荘興の言葉のすべてを理解は出来ないが、その語気で彼の言わんとしていることと押し殺した怒りは伝わった。

 男の言葉は続く。


「そしてこのわしは、命が縮まるかと思うほどに心配した。

 これも、しかたがないことなのか?」


 立ち上がった荘興は喜蝶の褥をはぐと、素早い動きで彼女の上に体を重ねた。


 突然のできごとに、喜蝶は手足をばたつかせて逆らう。

 荘興はその手を乱暴に払い、足を絡めて動きを封じ込めた。


 彼は容赦なく自分の体を支えなかったので、男の体の重みを薄い胸にまともに受けて、少女は息が詰まり「うっ」と叫んだ。その叫びを消すために、彼は口を少女の唇に重ねた。


 男の体の重みに押しつぶされた体と同じように、固く引き締められた唇だった。

 執拗にその感触を味わっていると、息苦しさに開いた口から喘ぎ声が漏れる。

 体を離した荘興は、少女を見下ろして言った。


 「これ以上の無理強いはしないと、約束はしよう。

 しかし、今日のようなことを繰り返すのであれば、こののち、何もしないとの約束は出来ない」


 そう言い終ると、今度は少女のはだけた寝衣の胸元に顔を下ろし、印をつけるために強く吸った。








 荘興が部屋の外に出ると、渡り廊下の隅に、允陶がかしこまって座っていた。

 しかし、驚きもせず荘興は言った。


「いたのか?」

「今夜は新月です。

 足元暗く、案内が必要かと」


 その言葉をふんと鼻先であしらい、允陶の言葉通りの月のない空を見上げる。

 

「そうだ、允陶、言っておくことがある。

 喜蝶さまを正式に娶ることにした。

 おまえに見張られていては、喜蝶さまの部屋におちおちとご機嫌伺いにもいけぬではないか。

 しかし、今すぐという訳にはいかぬな。

 病状のすぐれぬ李香のこともある」


 そして、あとは自分に言い聞かせるように呟いた。


「いつもまでも、喜蝶さまでもなかろう。

 慶央での新しい暮らしに慣れてもらうためにも、名前を変えたほうがよい。

 よい名前を考えねば……」

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る