054 「無理強いはせぬが……」と、荘興は言う・4
荘興は読み終えた文を机の上に戻すと、閉じた瞼の上を両手で押えた。
「お疲れでございますか。
肩をもみましょう?」
「宗主も歳だと言いたいのであろう。
まあ、言葉に甘えさせてもらおうか」
允陶は主人の後ろに回り、その両肩に手をかける。
「最近、細かい字を読むのが辛くなった」
荘興は後ろに立つ允陶に言うと、自嘲を含んだ笑いをもらす。
「そういえば允陶よ、
喜蝶どのの足を洗っていて、思い出したことがある。
昔々にも、家を飛び出したのちに連れ戻された英卓の足を、あのようにして洗ってやったことがあった。
当時の英卓は、まだ十歳になっていたかどうか。
あれは幼い時から、死んだ母親に似て、強情な子どもだった」
「英卓さまの母となる方は、わたしがここに来た時にはすでに亡くなっておられましたので、存じ上げませんが。
英卓さまのことは、よく覚えております。
異郷の空の下で、はや、二十歳になっておられるかと」
「やつが最後にこの屋敷から逃げ出したのは十五歳の時であったから、すでに五年なるか。
生きておるのか、野垂れ死んでおるのか。
どちらにせよ、親不孝な子だ……」
その言葉に、允陶がふっとかすかに笑う。
「宗主の若いころもそのようであったと聞いております」
「何が同じなものか。
わしは自らの意思で慶央に戻ってきた。
しかし、あれはいまだ戻る気はないだろう」
そして、肩をもむ允陶の手を軽く叩いて、荘興は言った。
「もうよい。おかげで、楽になった」
そして正面に戻り再び畏まって座った若い家令に、彼は言葉を続けた。
「喜蝶さまの足を洗っている時に、あれを探し出して、連れ戻してもよいころだと、なぜか、ふと思ってな」
「お若いころの宗主が慶央を出奔されて戻ってこられたのも、ちょうど二十歳だったと聞いております。
それで思い出されたのでは……。
明日の朝、さっそくに関景さまに相談いたしましょう。
宗主は気づいておられぬご様子ですが、英卓さまが、一番、宗主の気性を引き継いでおられるように思われます」
「関景も、いつもそのように言っておったな」
了承の返事の代わりに荘興は呟くように言った。
荘本家の立ち上げから関わってきた古参のものたちは、李香との子どもたちである健敬と康記に不満を感じていることは知っている。
健敬と康記の後ろには、泗水の町で手広く交易を商っている李香の外戚が控えている。健敬なり康記なりが跡目を継げば、荘本家が泗水に乗っ取られるのも同然だとの危惧があるのも当然だ。
特に、李香の腹違いの弟・園剋が姉が病弱であることを理由にして、本宅に居座り、まるで主人でもあるかのようにあれこれと差配し始めてからは。
頭の痛いことだと思い後回しにしてきたが、跡目問題については、そろそろ行動を起こす時が来ている。
「さて、残った文は明日の朝に片づけるとしよう。
喜蝶さまの様子を見にいくとしようか。」
「すでにお休みと思われますが、今から?
では、案内いたします」
「いや、その必要はない」
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