053 「無理強いはせぬが……」と、荘興は言う・3



「その後の、喜蝶さまの様子はどうか?」

「湯浴みされて、夕食を召しあがったのち、すでにお休みになられていると聞きました」

「もう寝たと?」


 秋の日はつるべ落とし。

 荘興の執務室はいくつもの燭台の灯りで明るいが、外はすでに真っ暗だ。

 それでも、就寝の時刻には少々早すぎる。


 昨日まで三日ほど留守にしていたうえに、今日の昼前は所用で出かけていた。

 帰ってきてみれば、喜蝶さま行方不明の大騒ぎだ。

 荘本家宗主の決済を仰ぐ文が、机の上に山積みされている。


 荘興は家令の允陶の助けを借りながら、それらに次々と目を通していた。


 荘本家も大所帯となって久しい。

 宗主のいない時に、決済の権限を持つものがもう一人いてもよいのではとは、誰もが思っている。しかし荘本家の跡目にからむ問題となるので、軽々しく口にすることはできない。






 文の一つに何やら書き込んだあと、荘興は言った。

「いくらなんでも、就寝の時刻には早いだろう?」


 允陶が手渡された文を箱の中に仕舞いながら答える。


「貞珂のあとに、喜蝶さまには新しい下女を二人つけました。

 今日のようなことが起きるのを恐れたその女たちに、喜蝶さまは早々に部屋に押し込まれたようです。

 となれば、寝るしかないのかと……」


「おまえが、貞珂を非情に追い出したりするからだ」


「荘本家で碌を食むものは、たとえ下働きの女であっても、公私混同は許されません」


「なんとまあ、おまえは、自分にも厳しいが、他人にも容赦のない男だなあ。

 どれ、あとで、喜蝶さまの様子伺いに行くとしよう」


 いままで主人の問いかけによどみなく答えていた允陶の返事が遅れた。

 しかし、目の前の文の山を片づけるのに忙しい主人は気づかなかった。


「それがよろしいかと。

 喜蝶さまも心細い思いをしておられると思われます」


「いや、それはないだろう。

 少しは反省してもらわねばならぬが、あの様子では自分のしたことの良し悪しはまったくわかっていないのだろうな。

 まあ、そこが喜蝶さまの喜蝶さまである所以ではあろうが……」


「確かに。

 そこが、喜蝶さまの可愛らしいところかと思われます」


 主人に仕える身でありながら、自分の気持ちを正直に言い過ぎた。

 允陶の体が緊張でこわばったが、これもまた、荘興は気づかなかった。


「萬姜とその子たちは、どうなっている?」


「風呂に入れて、夕食を食べさせました。

 こちらは長旅の疲れで、早々に、母子ともども休んでいるかと」


「確か、新開の町のものだと言っていたようだが」


「新開には、すでに使いのものを出しております。

 彼女の身元については、三日後の夕刻には報告が入りましょう」


「さすがに、することが手早いな」


「少々話しただけではありますが。

 萬姜という女は行儀作法も心得て賢く、よい母親でもある印象を受けました。

 帰る家がないと申しております。

 それが事実であれば、ここに母子ともども住まわせて、喜蝶さまの世話を任せてはいかがでしょうか?」


「そういうことは、おまえ一任しよう」






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