047 萬姜、再会門の下で真白い髪の少女と出会う ・3
……あのうさん臭い男は、どうにもいただけない……
萬姜は呟いた。
男は、少女との距離を計ったように立っている。
近づきもせずかといって離れて行く訳でもない。
……声をかけて、かどわかす機会を狙っているのは、ここからでも見え見えだ。
だけど、いまの私に何が出来る?
何も出来やしない……
ぼんやりと萬姜が見つめる先で、少女は破れ笠に手をかけた。
露店の藁に串刺しされた、色鮮やかな張りぼての縁起物を見上げる。
笠に置かれた白く細い手を見た時、萬姜の心の内より激しく噴きあがる熱い感情があった。
久しく忘れていた怒りの感情だ。
夫と両親を同時に失くしてより、心に穴が空いた。
喜びや悲しみや怒りが芽生えても、大きく育つ前に全部、その穴から抜けていった。生きているという実感がなく、ただ時だけが過ぎていく。
叔父夫婦の理不尽な店の乗っ取りに言いなりになってしまったのも、そのせいだ。ああ、今となっては、この一年の自分の不甲斐なさも含めて、世の中の何もかもに腹が立つ。
特に、少女のあとをつけ回しているあのうさん臭い男はなんだ?
あの男のすべてが気に入らない。
あの崩した髷の形の髪型はみっともない。
あの派手でぴらぴらした着物など見たくもない。
何よりも、あの顔つきは最低だ。
浅ましい根性が、物欲しそうな表情となって出ている。
怒りは萬姜の迷いを吹っ切れさせた。
お姜さんと呼ばれ、皆から頼りにされていた本来の彼女に戻っていた。
……しかし、不用意なことをして、少女を怯えさせて人混みに逃げられたら、元も子もない。ここは頭の使いどころだよ、お姜さん……
萬姜は、不安げに佇んでいる三人の子どもたちの顔を見やった。
十七歳の梨佳でもなく、男の子の範連でもない。
やはりここは一番幼い嬉児の出番だろう。
「嬉児、ちょっとおいで。
おまえはいい子だからね、お母様の言うことをよく聞いてね。
あそこに笠を被った人がいるでしょう。
そうそう、女の人。
おまえにもあの人が女の人だってわかるのだね。
それだったら話は早い」
目の前に立つ幼い我が子の着物を衿を直し、乱れた髪を手櫛で撫でつける。
そして言葉を続けた。
「あの女の人に『お姉ちゃん』と呼びかけるんだよ。
そして、女の人の上着の裾をしっかり掴みなさい。
何があっても絶対にその手を離してはいけないよ。
あとはお母様に任せておけばよいからね」
素直に頷いた嬉児は、人の流れを縫って少女の元に歩いて行く。
母に言われたとおりに『お姉ちゃん』と呼びかけて、彼女の着物の上着の裾を嬉児はしっかりとつかんだ。
そして目の前の人を見上げて、自分を見下ろす笠の中の白い顔の美しさに見とれた。
「きれいなお姉ちゃん、私の名前は嬉児っていうの。
お姉ちゃんの名前は?」
母に教えられた以上のことを話しかけてしまった嬉児だ。
その人の顔に笑みが広がる。
ほの暗い笠の中で大輪の花がほころび揺れたように、嬉児には見えた。
その人はしばらく考えてから、ゆっくりと答えた。
「キ・チョ・ウ」
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