044 荘興、怒りに我を忘れる・2
席に座したものが口々に言うことを、荘興は黙って聞いていた。
一口飲んでまだ底に茶が残っている器を、彼は手の中で弄んでいた。
機嫌が悪い時に見せる彼の癖だ。
手の中で、小さな器がゆっくりと回る。
茶がこぼれそうなほどに傾くと、器はくるりと反転した。
こぼれそうでこぼれない茶は、彼の爆発寸前の苛立ちそのものだった。
初めに、貞珂が連れてこられた。
允陶に掴まれた髪は乱れ、叩かれた顔は赤く腫れている。
そして、何を訊かれても、「申し訳ございません」と泣きながら言い頭を床にこすりつけるだけだ。
この女は喜蝶の傍にべったりとついて甲斐甲斐しく世話は焼いていたが、それだけだった。少女の胸内を推し量ることを、自分の仕事とは考えたこともないのだろう。
今更ながらに悔やまれる。
しかし、男である荘興や允陶には、少女の世話など未知の領分だ。
次は、厨房の女が二人。
「喜蝶ちゃんは、いえ、喜蝶さまは……。
芋粥と魚の汁ものをたらふく食べられて、満足気に出て行かれました」
「饅頭とゆで卵と焼き栗を、袋に入れておられましたが。
いつものように、ご自分のおやつになさるのかと。
それとも、犬舎の犬か縁の下の猫に与えるのかと。
そいうことは、よくあることでありましたので……」
二日酔いに苦しむことなく、旺盛な食欲であったこと。
そして、厨房の女たちに可愛がられていたことがわかった。
このような場合でなければ、喜ばしいことなのだが。
最後に、青善の主人・可宣と、その呆けた父親。
父親は、薪小屋の裏で、だらしなく酔っぱらって寝込んでいた。
息子の可宣は、青菜のしおれるのを諦めて父親を探しに戻ってきた。
二人を取り調べたものが言った。
「この老人の言うことは、まったく要領を得ていないことばかり。
息子の可宣が言う、中気を患ったあと呆けたというのは、本当のことかと」
酔いを醒ますために、水をかけられたのだろう。
頭から濡れネズミとなった老人はガタガタと震えながらも、「天女ちゃんが……、天女ちゃんが……」と繰り返す。
「可宣が曳き、この老人が押す青善の荷車が裏門を出て行くのを見たと、見張りが言っております。どうやら閉門のあわただしさの中で、それが、喜蝶さまだと気づかなかったかと思われます」
鉄壁を誇っていた荘本家の守りだった。
それが、少女一人をやすやすと逃がしてしまうほどに脆かったとは。
今の荘興には、少女が屋敷から逃げ出したくなる理由など思いつかない。
あの趙藍という女は確かに言ったはず。
「五年をかけて、遠く西の果てから、喜蝶さまを届けに来た」と。
抑えに抑えていた怒りが爆発した。
手の中を離れた茶器は、飛沫をまき散らしながら中庭に飛んでいく。
そして庭石にぶつかり、粉々に砕けた。
医師の永但州が言った。
「お嬢さんが一人で出て行ったとすれば、女の足だ。
まだそれほど遠くには行っていないだろう。
たちの悪い人買いが横行しているという噂を聞く。
はやく見つけてやらねば」
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