038 真白い髪の少女、荘興の屋敷より消える・2



 稲わらで編んだ笠と草鞋わらじ

 愛笛の<朱焔>を包むための布。

 そして、貞珂が使っていた鋏。


 厨房から部屋に戻った少女は寝台の下に潜り、放り込んでいたそれらを取り出して並べた。すべて、庭で遊んでいた時に拾ったものや、貞珂の忘れ物だ。


 物の名前が覚えられず、言葉として出てこない。

 そのうえに、記憶も長く保てない。

 しかし、長く中華大陸をさまよってきた。

 外を歩くのに、これらのものがいることは身についている。


 鋏は、真白い髪を切るためだ。

 自分の髪の色が常人と違い、目立つということも知っていた。


 少女は寝台の横にある衣桁の前に立つ。


 衣桁には、彩楽堂から届けられたばかりの着物がかけられていた。

 薄緑色の地に織りの花が咲き乱れ、金糸の蝶が舞っている。


 少女はしばらくその美しい着物を眺めていた。

 そしてその使い道を思いついた。

 衣桁より着物を外して床に広げその上に座り、鋏を手に持つ。


 左手で掴んだ白い髪の一房を鋏で切る。

 やがて静かな部屋に鋏の音がパツリパツリと響き、広げた着物の上に真白い髪がはらはらと落ちていった。


 首筋が見えるほどに短く髪を切って、一か月を過ごした部屋を見渡した。


 飾り棚の白玉と真珠の猫の置物が目に入る。

 それを、食べもので膨らんだ頭陀袋の中に入れた。

 旅に道連れはあったほうがよい。


 笠を被り草鞋を履くと、少女は部屋の外に出た。







 給金の入った袋を懐にした貞珂は裏門に急いだ。

 裏門に立つ門番も、月に一度の楊貞の楽しみを知っているので呼び止めることなく通してやる。


 一か月ぶりに会う姑は、今までになく相好を崩していた。

 貞珂の給金が上がったことを知っているからだ。

 久しぶりに会う母親に対して、照れ隠しで挨拶もしない孫の背中を押す。


「風邪をひいちゃいないだろうね」

「大事な預かりものの孫だよ。風邪などひかす訳がないだろう」


 大事な預かりものにしては、上の子は十歳になる前に、口減らしのために奉公に出している。いまはもう年に一度、会えるかどうかだ。

 この子をいまだに家においている姑の魂胆は、自分から金をむしりとるためだとは彼女も承知だった。


「母ちゃんはね、今月からお給金が増えたんだよ。

 寒くなるからね。

 婆ちゃんに新しい綿入れを誂えてもらうといい」


「この子はよく食べるから、大きくなるのが早くてね。

 昨年の冬の着物がまったく合わなくて、困ったと思っていたところさ」


 姑の煩い口出しに辟易しながらも、我が子の顔を見る喜びに貞珂は時の経つのを忘れた。


「そろそろおまえも戻らぬと。仕事があるだろう」

 金さえ受け取れば早く帰りたい姑に急かされた。


「お嬢さまは、お昼までお休みだよ」

 そうは答えたものの、貞珂も長い立ち話をやっと切り上げる気になった。


 姑に急かされて去っていく子の後ろ姿を見送る。


 何度も振り返って手を振る可愛い子の姿が、喜蝶が寝ている部屋へと戻る貞珂の脳裏でちらつく。それで、笠を目深にかぶった喜蝶と薪小屋の前ですれ違ったことに、一瞬、気づくのが遅れた。


「まさか、お嬢さま……?」


 貞珂は慌てて振り返ったが、もうそこに人の姿はない。






 

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