萬姜、再会門の下で真白い髪の少女と出会う

037 真白い髪の少女、荘興の屋敷より消える・1


 翌朝、貞珂はいつもより早くに目覚めた。


 この日は、月に一度、給金の支払われる日だ。

 勘定方の建物で順番を待って、うやうやしく戴く。

 そして、彼女の稼ぐ金を当てにしている姑と可愛い我が子が待つ、裏門へと急ぐ。


 物音を立てぬようにと、少女の寝ている様子をそっと覗いた。


「夜の間、心して、喜蝶さまの様子を見守るように。

 明日の朝もこのまま寝かしておけ」


 昨夜は、直々に荘興さまよりこまごました指示を受けた。

 酒の匂いをさせた荘興さまの声は、うろたえているようにも聞こえた。

 その横の允陶さまは、珍しく怒っているようにも見えた。


 少女は、夜中に何度も寝返りを打ったのだろう。

 解けて広がった白い髪に、横顔が埋まっている。

 一度だけ起きて水を欲しがり、また褥に倒れ込んだが、その後は荒かった寝息も静かになった。


 子どもの酔っぱらいは看病したことはない。

 しかし、こういう場合は放っておくに限ると、貞珂は酔いつぶれたものの扱いには慣れている。


 所帯を持った当初から、夫は大酒飲みだった。

 酔っぱらって、だらしなく寝込む姿をいやになるほど見てきた。

 

 喜蝶さまは昼まで目覚める訳がない。


 喜蝶さまの部屋付きの下女となって、給金が跳ね上がった。

 だが、そのぶん自由が利かず、今月は我が子の顔を見るのを諦めていた。

 それが、なんと運のよいことだろう。

 昼まで喜蝶さまは寝たままだ。

 

 ……ああ、忙しい。

 

 こまごまとした朝の用事をさっさと片づけよう。

 そして、給金を受け取り姑に会ったら、この金子で子どもの冬の綿入れを新調するように言わなければ。しっかり念押しておかなければ、すべて、ろくでなしの夫の酒代に消えてしまう。


 考え始めると気がそぞろとなった。

 少女が寝台の上で動き目覚めたことに、部屋を出ようとした貞珂は気づかなかった。







 厨房の建物の中は、いくつものかまどから立ち上る紫煙と鍋からの湯気で、霞んでいた。

 食材を切り刻む音と鍋釜なべかまのぶつかり合う音が響く。

 時おり、女たちの怒鳴り合う声もする。


 鍋を振る手を休めることなく、厨房の女は言った。


「おや、喜蝶ちゃん、今朝は一人かい?

 ああ、そうだったね。

 今日はお給金の日だから、お貞さんはいろいろとあるんだったね」


 彼女はちらりと、少女の結われていない真白い髪を見た。

 それから、物干しから盗ったであろうつぎのあたったズボンの着物を見た。肩から斜めにかけた小汚い頭陀袋ずだぶくろにも気づいたが、気に留めなかった。


「そういう訳で、見ての通りあたしらも大忙しさ。

 もしかして、朝食、まだなのかい?

 いくら我が子の顔見たさでも、喜蝶ちゃんのご飯を忘れるとは。

 困ったお貞さんだねえ。

 だったら、そこらにあるもの、なんでも食べな」


 その言葉に少女がにっこりと笑って頷く。

 離れたところから、別の女が声を飛ばしてきた。


「喜蝶ちゃん、芋粥が煮えたところだよ。

 食べるだろう?

 碗によそおってあげるから、こちらにおいで」


 小半刻の間、少女は厨房にいた。

 腹も太らせ、そして適当に放り込んだ食べもので、頭陀袋も膨らんだ。

 


 

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