041 真白い髪の少女、荘興の屋敷より消える・5
朝よりも増して、厨房は忙しさの極みだった。
料理を作り続けるもの、出来上がった朝食を取りに来たもの、片隅で食べ始めたものも混じって、人、人で溢れていた。
その中にあって、裏口より入ってきて棚の酒の甕に手を伸ばしたものが、笠をかぶった喜蝶さまであったのか、なかったのか。
あとから詮議されても、厨房の女たちは首をかしげるしかない。
呆けた老人は少女から甕を受け取ると、震える手でその封をちぎった。
そして、甕を傾けると中の酒を喉に流し込む。
しゃがみ込んで、老人の痩せた首の真ん中で大きく上下する喉ぼとけを満足そうに見ていた少女が再び言う。
「サ・ケ!」
もどかしい記憶と言葉だった。
しかし、<頼まれごと>は上手くいったのだ。
そしてそれを喜んでいるものが、目の前にいることが嬉しい。
「ああ、これは!
なんと、美味い酒だ。
こんな美味い酒が飲めるとは、荘興さまにでもなったような気分じゃ」
久しぶりに味わう酒に、男の呆けた頭が覚醒したのか。
確かに、彼が飲んでいるのは荘家の酒だ。
「ふぅぅぅ。
可愛らしい顔をした天女ちゃん……」
酒の匂いのする息を吐きながら、老人が言った。
その匂いに顔をしかめながらも、少女が頷く。
「天女ちゃんも、飲んでみるかの?」
驚いて大きく目を見開いた少女が激しく横に首を振る。
昨夜の悪酔いした記憶が、うっすらと残っている。
「こんな美味いものが、嫌いとは、なんともったいない。
もったいないゆえに、わしが全部飲んでしまうことにしよう。
極楽、極楽……」
水のように胃の腑に流し込んだ酒の酔いは、あっというまに老いた男の体に回った。空になった酒の甕を持つ手が膝の上に落ち、首が前に垂れる。
少女はそっと甕を取り上げて傍らの地面に戻した。
そして、酔いつぶれた男のだらしなく広がった着物の襟元を、風邪をひかぬようにと掻き合わせる。
薪の束の上に置かれていた男の汚い破れ笠に気づいた。
少女は自分の笠を外すと老人の頭に被せた。
風よけにするのに、破れ笠よりは少しは増しというものだ。
そして替わりに、少女は老人の汚い笠を被った。
〈青善〉の可宣が次回の注文も取り終り、帰り支度にとりかかろうとした時、屋敷の奥が騒がしくなった。
何事かと、手を止めた周りのもの達が一斉に、屋敷の奥に向かって首を伸ばす。
裏門に立っていた二人の門番のうちの一人が、騒ぎの元を確かめるためにバタバタと駆けていく。
しばらくして、「閉門! 閉門!」と叫ぶ声が聞こえてきた。
その声に、可宣は慌てた。
奥で何事が起きたのかは知らないし、彼に関係のあることではないはず。
しかし、門が閉じられてここにとどめ置かれるとなると、それは困る。
青物を売るのは、日銭を稼ぐしかない小さな商いだ。
次の得意先が待っている。
荷車の上でしおれていく青物を、黙って見ている訳にはいかない。
……とりあえずは、急いで、屋敷から出なくては。
呆けた親父を一人置いていくのは、気になるが。
親父も年端もいかぬ子どもという訳じゃあない。
今日の商いを終えたら、連れに戻ってくるか……
荷が半分に減った荷車を一人で曳いて、彼は裏門へと急いだ。
一人残っていた門番は顔なじみだ。
彼は、可宣が慌てている理由を理解した。
「<青善>、足止めを食いたくなければ、早く通れ」
身振りと手振りで招いている。
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